2-3 神田の外れよぉ その2

さちこが半ば強引に本田記者を連れ込んだのは、会社からほど近い外神田の煮込みうどん屋だった。
ランチタイムには近隣のビジネスマンで混雑する人気店だが、いかんせん入り組んだ路地にある為、13時を過ぎると店内はがら空きになる。人に聞かれたくない話をする時は、下手な喫茶店より穴場なのだ。そして、あいつの無断欠勤のせいで昼休みがなかったから丁度いいわというさちこの都合でもあった。
「あの・・・。」
本田記者は落ち着かない様子で周囲を見回している。
「ふふ。どうして煮込みうどん屋さんなのか、って、聞きたいでしょ。この辺はゆっくり話せる店って少ないし。私はうどんよりソバ派なんだけど、今日は肌寒いからうどんの気分なの。あ、私、カレーうどんにしよう。」
「あの。」
「ああ、私さちこ。あいつの同僚というか後輩。入社したのは今年に入ってからなんだけどね、なんでも聞いていいよ。答えるから。」
「あの・・・恐縮ですが。」
「なによ。」
「ここは、味噌煮込みうどんじゃないでしょうか。」
「はぁ?」
「ここ、味噌煮込みうどん専門店じゃないですか、カレーうどんなら他でも。」
「私がなにを頼もうと勝手でしょ。」
「うわあ、勿体ないなあ・・・。」
何やらこいつもめんどくさい男のにおいがする。
「てか、もっと違うとこにつっこみ入れない?
なんでこんなとこに連れてくるんだ、とか、ほら。」
本田記者は半ばさちこを無視して、うっとりとメニュー表を眺めて居る。
「いやあ。いいお店ですよ、佇まいもこのメニューのよごれっぷりも絶対美味しい感じだし。外神田には名店が多いっていうけど、ほんとここ、美味しい予感しかしない。うわあ、味噌も二種類から選べるんですね・・・どうしようかなあ。」
まるで少年のように、とはこの事か。つやのある頬を一層輝かせ、本田記者はもう夢中だ。まずは、うどんを食べてからね、私もお腹空いてるし。呆れながらもさちこは注文お願いしますと手をあげた。
「私、カレーうどん。・・・絶対、美味しいし。」

 

「ふぅ、ごちそうさま。」
「やっぱり味噌煮込みで正解でしたね。本場名古屋の八丁味噌がいい仕事してました。」
ていうかここ外神田だし、と言いたい気持ちをさちこはぐっと堪えた。
本田は満足そうに紙ナプキンで口元を拭いている。
「本田さん、食べるの好きなのね。」
「はい、大好きです。ぼく、元々グルメ雑誌のライターをしていたんです。」
「へぇ。好きを仕事にできるっていいじゃない。」
「ええ、でも、好き過ぎて。取材で食べてたらちょっと太ってきちゃったんで・・・ダイエットも兼ねてフィールドを変えたんです。」
「それで、事件記者ねぇ・・・。」
「結構えぐい現場の取材もあるから、食欲わかなくなっていい感じです。」
「そ、そう。」
「そうなんですよ。今回もここだけの話、入手した現場写真、ベッドの上が血の海で。あ、まさにこんな感じ。生乾きの血とか体液とか、この味噌煮込みの残り汁みたいなのが一面べったりでした。ああ、よかった、食べた後に思い出して。」
まだ、カレーうどんの方にしといてよかったと、さちこは思った。
「いくらラブホでも、あれは掃除が大変だろうなあ。」
「そうそう、それよ。そのラブホ殺人の話じゃない。」

本田記者が追っているという、ラブホテル殺人魔事件とは、半年程前から都内のラブホテルで起こっている未解決の連続猟奇事件である。
最初は、今から半年前だから昨年の九月になる。新宿は歌舞伎町のホテルで、女性客が刺殺された。その後、都内各所のラブホテル街で、同じ手口の殺人が毎月のように連続して起こっている。
犯人は同伴相手男性と見られているが、場所柄、チェックインする際に名前を聞く事は愚かお客の人相風体をまともに見る事もない為、犯人は勿論のこと、被害者の身元を割り出すのにも時間を要した。
「指紋も、もうあちこちベタベタいろんなお客のが付着しすぎていて手がかりにはなりにくいみたいです。それに、被害者女性は全・・・」
本田記者は赤面した。
「全・・・ての持物、衣服等身につけるものをですね、持ち去られているので、身元確認が大変らしいのです。」
「でもほら、相手の男がひとりで出て行ったら、おかしいなって分りそうじゃない?それにさ、防犯カメラとかは?」
「そうなんですけど・・・不思議なのは、相手男性らしき人物がひとりでホテルを出たことに誰も気が付かないんです。勿論、防犯カメラにも映っていないし。」
「・・・やるわね、あいつ。とんでもない五時から男だわ。」
「あ、いえいえ。あいつさんはですね、重要参考人というだけでして。」
「私、知ってる。重要参考人っていうのは、ほぼ犯人ってことなのよね。」
「いやあ、その。そうとばかりは・・・特に今回は。」
「なによ。」
「犯人は、鋭利な刃物で急所をぐさっ、ですよ。刃物の扱いに非常に慣れた、プロの手際です。日常的にそういった仕事に関わっているか、相当デキるひとの仕業です。お話を聞く限りでは、あいつさんはボンクラ、なんですよね。」
「なに?いくらなんでも社外の人間がうちの社員をボンクラ呼ばわりするって、失礼じゃない?」
「あいえ。すみません、味噌煮込みうどんでテンションがあがりすぎて、つい。」
それもそうか。確かにあんなに不器用でやる気のない男が、プライベートで急変するとは思えない。そんなのお話の世界だけよね、とさちこは内心思ったが、カッとした態度を急に引っ込めることも出来ない。
「大体ね本田さん、あなた、聞き込みにきたんでしょ?なに誘われるままにうどん食べて、聞かれもしないことを初対面の私にペラペラしゃべってるのよ。あなたこそボンクラ記者じゃない。」
「・・・それも、言い過ぎだと思います。」
本田の目にうっすらと涙が浮かんだ。
さちこは慌てた。
「ああ、でも、その捜査困難な状況で、よくあいつがうちの社員だって突き止めたわね。まだ、警察も調査に来てないわ、すごいわ。」
「ぼく、独自の調査網を持ってるんです。やればできる子なんです。」
本田は、うつむきながら煮込みうどんの残り汁を啜った。どうやら機嫌を治してくれらたしい。単純ね、男って。
「ここだけの話ですが、現時点では、あいつさんは本当に重要参考人というだけで、犯人とも被害者とも、あるいは関係ないとも・・・」
「ちょっと待って。被害者ってどういうこと?」
「ここだけの、話ですよ。」
「あいつさんが居たお部屋は、犯行現場の隣なんです。」
さちこは訳がわからなかった。なぜ、隣の部屋のあいつの聞き込みを?
「・・・今回のケースはですね、一連の事件と幾つか違う点がありまして。
ひとつは、これまで事件は都心に近いホテル街で起こっていた。でも、今回の犯行場所となったホテル横島というホテルは、江戸川に近い、ほぼ住宅街と小さい工場で成立しているような地域にポツンとあるホテルなんです。ほら、郊外というか地方の町の駅裏に、飲み屋とかパチンコ屋とかゲーセンとかが固まってる場所、近隣のPTAというか、お家のおかあさんが子供にあそこに近寄ったらいけませんよというような所です。
被害者の女性も、最初から身元は分っているんです。地元の、なんというかコールガールで、ホテルで客と待ち合わせてサービスを提供するコで、これまでの被害者とは違って、そういうプロなんです。そして・・・」
「じゃあ、連続殺人事件とは別の事件なんじゃない?」
「そうとも言い切れないところがありまして。犯行現場そのものは、一連の事件と見事に一致しているので、恐らく同一犯人だと推定されるのですが。」
「が?」
「なぜか、犯行が行なわれたと覚しき時刻に、隣室のドアが破壊されていまして。そこに一人で居たはずの、あいつさんが居なくなっていたんです。
しかもこちらは、衣服を残したまま・・・。」
「なになに?ちょっとよく分からない。
そもそも、なんであいつ一人でそんなとこに居るのよ。」
本田はまた、顔を赤らめながら言った。
「それは・・・アレ、じゃないですか。」
「アレ?」
「あいつさんの部屋から、小さなチラシが発見されたそうです。所謂、その、公衆電話ボックスに貼ってあるような・・・」
「はっきりいいなさいよ。」
「はい。」
・・・あいつ、仕事さぼってホテトル呼んでやがったのか。
「あ、ホテトルって今使っちゃいけないんですよ。ホテトルのトルの部分、トルコ風呂っていうのが、国差別的になるからNGで。今はソープランドっていうんですが、それも地域差別にあたるんじゃないかとぼくは思うんですけどどうなんでしょう。」
「なんで、私が今思った事が分ったの?超能力者?」

本田記者はにやりとした。

「だって、さちこさん。思った事、無意識に口に出してしゃべるタイプですよね。」

アタリ!やはり、こいつは超能力者だ。・・・ってあれ?

2-2 神田の外れよぉ その1

秋葉原の駅から、ゲーセンや電気屋の並ぶ大通りを上野方面にのぼって行く。PCパーツの店の数が少なくなるのと比例して、そのマニア度は増してゆく。駅前では、チェックのネルシャツにリュックサック紙袋といったいかにも愛好家といった人々は大抵が男二人で歩いている、気がする。が、よりマニアックな店を目指す者は独りが多い、気がする。そんな店がとうとう途切れた先から、また別の街の姿が現れる。
本題に戻る。

彼は消えた。

秋葉原のはずれ、外神田がはじまる辺り、古い比較的低層な雑居ビルと昔からの商店が居並ぶ、バブルや景気といった言葉から無縁の街並の一角、「伝統こけし販売本社事務所」というブリキの看板がかかっているオフィスがあった。いうまでもなく、永く日本の温泉場お土産物屋の主力商品として君臨してきた、あの、木製の民芸品である。全国各地のこけし職人、名人といわれるこけし作家とつながり、卸売もすれば小売りもする、物産展のついでにねじ込まれているこけしフェア的なイベントを企画する、ある意味ではマニアックな会社と言える。
十坪ばかりのさほど広くない事務所に、黒電話の音が鳴る。
OLのさちこは、隣の席のびっくりする程何もない机の上で鳴る電話をしばらく見つめ、大きく溜息をついた後に受話器をとった。
「はい、大人の玩具、伝統こけし販売です」
マニュアル通りの応答とはいえ、毎度ながら何とも微妙な心境になる。
この事務所で女子社員はさちこ一人。入社の頃は、もしかして、これを言わせるためだけに採用されたのではないか、と、疑わしく思ったものだ。
面接の時、この事務所の責任者であるところの部長は言った。
「こけしは、東北発祥の玩具からみやげ物という存在を経て、今や美術品としてその地位を確率しつつある、日本の古きよき伝統のよさを分る真の大人の為の、本物志向の民芸品なんだよ。大人の玩具、言い得て妙じゃないか。」
とはいえ。モヤモヤしたものがいつもつっかえている。

「はい。その件でしたら、私が後任で引き継いでおりますので。すぐに資料をお送りいたしますが・・・ええ、そうなんです。本日も生憎休んでおりまして。」
・・・あのやろう、もうすぐ退職する身とはいえ、無断欠勤とはあまりにひどい。元々、やる気のない男だったがここまで無責任とは。私、無責任な男が一番嫌いっ!クビが決まった途端に、営業先からの直帰が増えたし。本当はどこに行ってるんだか。この前だって、駅裏の高そうな喫茶店にフラフラ入っていって、何だか楽しそうにしていたの、郵便局におつかいの途中、見たんだから。ああいうのを、五時から男っていうのかしら・・・いや、五時どころじゃない三時から男?下手すると二時から男よ。
「さちこくん。」
「あ、部長。」
ねばっこい気配。ふと気が付くと、部長がさちこの背後に立っていた。さちこの肩に手をかけようとする気配を察知して、慌てて身をよじった。部長の手は、スダレ状に固めた薄い頭髪をいつも撫で付けているせいか、いつもベタベタしている。
「彼からは、連絡はないかな。」
「はい。」
部長は気まずそうに、ぽつんと黒電話の置いてある机を見た。今時、通話切替ボタンや呼び出しボタンもない。彼の机の電話だけ古い黒電話だ。
「私も困ってるんです。引き継ぎが完全に終ってないのに、今のタイミングで社に来なくなるなんて。」
「社?とは。」
「うちの会社ですよ。」
部長の目線が何か言いたげにさちこの方へと移動した。
「あ、はい。伝統こけし販売・・・」
「さちこくん、抜いちゃってるじゃないか。」
「・・・はい、大人の玩具伝統こけし販売。」
「気をつけてくれたまえよ、常に正式名称、名称は大事だからね。
・・・そうそう、さちこくん。さちこくんに、入れちゃっていいかな。・・・あ君のコンピュータのね、電源を。」
「もう入ってますよ、仕事中ですから。」
「仕事中に入ってるって・・・ふふ。」
ああ、メンドクサイ。このおやじとのやり取りが増えるのも、あいつが職場放棄して来ないせいだ。
「まずは、立たせてくれ。手で。」
「は?」
「ああ、そのボタンを手でポチっと押してだな、立たせてくれたまえよ、君のコンピュータの中のだね、ソフトを。そっと指でキーボードをまさぐってくれたまえ。」
「・・・そうそう、いいねえ。ああ、そこの資料ね、もうイキそう?イキそうだったら声に出して・・・プリントアウトしますって・・・。」
ベタベタした手がまた、さちこの肩に迫って来る。
ああイライラする、ただでさえ、あいつの営業先からの電話応対やらなにやらで仕事が増えてるのに・・・もう限界だ、さちこがペン立てからボールペンをつかんで逆手に持ちそっと身構えたその時、

事務所のドアが開いた。
「こんにちは。」
そこには、見知らぬ客。つやつやした頬とキラキラした目、ハンチングに蝶ネクタイの何やらこざっぱりとした青年がニコニコしながら立っていた。
「い、いらっしゃいませ。大人の玩具伝統こけ・・・。」
さちこはハッとして立ち上がり、部長を押しのけ入口に立つ見知らぬ訪問者の方へ小走りに駆け寄った。
「すみません、突然お邪魔してしまって。ぼく、こういうモノです。」
深々とお辞儀をして、さちこに両手で名刺を差し出す。名刺には、

週刊フライングフライデー
記者 本田剛

とある。
フライングフライデーと言えば、いわゆる新聞三面記事に当たる内容を扱う写真週刊誌ではないか。一体何の用があるというのか。
「事前にアポイントをとればよかったのですが、お断りされるといけないかなと思って。失礼します。」
唖然としていると、本田記者はずかずかと中に入ってきた。そして、棚に陳列してあるこけしや資料等を珍しそうに「へぇー」とか「ほぉー」とか言いながら手に取ったり、カメラに収めたり。
「あの。」
と、さちこはたまらず声をかけた。
「何かご用でしょうか。」
「あ。」と、記者は我にかえったようにさちこの方に向き直り。
「えとですね・・・」
記者は内ポケットをごそごそ探り、一枚の写真を取出した。映っているのは、今まさに無断欠勤真っ最中の彼だ。
「今、この彼について調べてるんですが。」
「あいにくと休んでますが。」
「そうですよね、失踪中ですもんね。・・・あ、ごめんなさい。ぼく、ちょっとこういう事件を担当するの初めてなもので・・・」
またここにもメンドクサイ人間がひとり。さちこは心の内で思ったが、それよりもこいつ今なんて言った?失踪?事件?
「何か、彼について情報をお聞きしたいなーと。」
「彼、なにかしたんですか?」
「あの、ええっとですね。ラブホテル殺人魔事件って知ってます?」
・・・えっ!?なにそれ。新聞で読んだ、謎のホテル連続殺人、犯人の手がかりすら未だつかめない、っていう。被害者は女性ばかりだというし・・・もしかして、あいつ、容疑者とか?うわー。
(すごく、面白そうなんだけど。)
「なんだね、君。彼が一体、何かやらかしたのか?」
遠巻きに見ていた部長が、怪訝そうに近寄ってくる。
まずい、部長が割り込んでくると話は余計にややこしくなりそうだ。
「部長、ちょっと出て参ります。あ、何かこけしの受注の件で、トラブルがあったようで〜。」
「はぁ?」
「あ、部長さんでいらっしゃいますか。ぼく、週刊フライング・・・」
言いかけた本田記者に、先程握りしめていたボールペンの先を喉元につきつけて、黙れという合図を目線で送った。
「本田さん、お話は、外でうかがいます。」
さちこは、青くなってガタガタ震える本田記者の腕をつかんで素早く事務所の外に出た。

 

*まだまだ、プロローグのような感じですみません。

2-1 アキハバーラ駅前その1

秋葉原の駅前に広大な空地がある。バスケットボールやスケボーに興じる若者がポツポツと居るが、その広さ故か、かえって淋しい印象を与える。
元々は、神田青物市場という卸売市場があって、東京の台所を支えていたとらしいが、跡形もない。
秋葉原はいつだって「ひしめき合う」という形容が似合う場所だ。戦後の闇市から発展したというが、ラジオや無線の電子部品、オーディオ用品を扱う店が主流だった時代もあれば、家電が幅を利かせていたこともある。パソコン部品のジャンクやゲームソフトを扱う店が次第に増えてきたり、それもやがて家庭用ゲーム機に主流の座を譲ったり。けれど、無線がマイコンに、マイコンがパソコンにと上書きされていく訳ではなく、新しい商売は古い商売の間に割り込み、古い商売の方も隅に追いやられながらも留まりギュウギュウと押しくらまんじゅうをしているような恰好だ。街は次第に複雑怪奇さを増していく。にも関わらず、あの場所だけが、何かで切り取られたようにぽっかりと空いている。秋葉原にジャンクを買いに来る多くのオタク達も、バスケにもスケボーにも興味はなく、というか寧ろストリートでバスケをしているのはどでかいラジカセを担ぎながらラップをしてるスラムのストリートギャング達つまり米国風の不良じゃない?喧嘩したら絶対負ける拙者暴力は反対でござるだって体力で負けちゃうしという発想から、多くのオタク達の禁足地と化している。言い過ぎだったらごめんなさい。いやこれは言い過ぎである。

そんな空地の、フェンスの低くなっている部分に腰をかけて、バスケをしているギャング達を眺めている男がいた。
まだ若い風にも見えるしいい年にも見える。大柄な体に軍用コート、見事に真ん中だけを残したモヒカンという出で立ちが、年齢より「強面」という情報を優先させるのかも知れない。
彼は退屈そうにあくびをすると、ポケットから丸めた新聞紙を取出し、膝の上で拡げてシワを伸ばした。
新聞は昨日の朝刊社会面、赤マーカーで囲みがしてある記事の見出しには
「ラブホテル殺人魔逃走中」
とある。男は記事に目を走らせ、ついうっかり独り言を言った。
「ラブホテル殺人・・・あーあ、こんな事件やってみてえなあ。」
なにせ大柄なせいか、独り言もでかい。バスケの若者達が一斉にかたまった。男はハッとして、「ってひとなんかいるのかしら。」と、慌ててつけ加えた。

勿論、男は犯罪者でも犯罪者志願でもない。こう見えて、先月づけで秋葉原署に配属された新米刑事なのだ。
幼い頃、「太陽にほえろ!」を見て憧れた刑事。交番巡査から地道に試験を受け、頑張ってようやく憧れの刑事になった。ドラマに出て来る七曲署みたいに、拳銃片手に犯人を追うのが夢だったのに。新米刑事は配属になると「ボス」に呼び名をつけてもらえる・・・「ジーパン」とか「ゴリさん」とか「殿下」とか、お互い呼び合うあの感じがかっこよかった。なるべくハードで型破りな感じを演出するために、わざわざこの恰好にしたのに。
にこにこしたおじいちゃんみたいな警部が、「君は・・・そうだなあ、メガネかけてるから”メガネ”」。
ええっ!この特徴だらけの外見で「メガネ」?!せめて「モヒカン」じゃないの?
「よろしくね、メガネくん。」
しかも、配属部署は半数が女性。以来、「メガネくん」として、秋葉原駅周辺の不審者職務質問が主な仕事となる。

男、いやメガネは、改めて記事を見直す。

1月31日午後4時頃、足立区某所の「ホテル横島」203号室にて、女性の遺体が発見された。死因は失血死。刃物のようなもので刺された跡から他殺と断定。凶器及び、衣服を含め被害者の持物は一切現場からなくなっており、女性の身元は不明である。一連の状況から、警察はここ数ヶ月都内で起こっている連続殺人事件通称「ラブホテル殺人魔」との関連を調査中。
尚、同時刻に隣の202号室の男性宿泊客が姿を消しており、本件に関与の可能性があるとみて、行方を捜索している。

ラブホテル殺人魔の噂は、職業柄、彼も以前から耳にして知っていた。
最初に起こったのは半年前、歌舞伎町のラブホ。密室のホテル内で、男女で入ったはずが女だけが殺され、男は姿を消す。一突で急所を刺す手口等から、容易く同一犯人の連続殺人であることが推測された。場所柄、フロントで従業員が客とまともに顔を合わすことは無い。その為、犯人と思われる男の姿は謎のままなのである。
(でも・・・)
なんだろう、この記事は何か違和感を感じる。モヒカンでメガネの男がいたら、普通、モヒカンの方に目がいくんじゃないか。それと同じような居心地の悪さが記事にはあった。

(でもなー、俺、推理探偵じゃないしなあ。)

ぼんやりしていると、足許にバスケットボールが転がってきた。
遠巻きに、若者達が凍りついたまま、弱々しい声で彼に呼びかけた。
「す、すみませーん。ぼ、ボール・・・」
彼は足許のボールを拾い上げ、思い切り放った。
「おれは、メガネじゃねええ!」
「ひいぃ!」
ボールはバスケットゴールのボードにぎゅるぎゅるとめり込んで、しばらくしてから籠へとゴールした。
「あ」
思いついた。そうだ、どうして忘れてたんだろう。
それなら彼にはいくべきところがある。それも、この秋葉原、そう遠くはないじゃないか。

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