6 某所-彼

「・・・ここは一体どこだろう?」
彼は目を覚ました。意識が戻る前、遠い夢の中で聞いていた音が、くっきりと輪郭を現わして耳に響いてくる。工場のような、機械が動き金属がぶつかり合うような音、ブーンというモーター音のようなもの。辺りをよく見ようと首を持ち上げるが、すぐに痛みで断念した。

どうしたんだっけ。

ああ。自棄になって、思い切って風俗デビューしようとして、電話をかけて、ホテルで女の子を待ってたんだ。そしたら、そしたら・・・。
女子高生という触れ込みのチラシだったのに、やって来たのは巨大な、恐ろしい・・・あれ?なんだっけ。そこから記憶がない。

どうしたんだっけ?

そう、待っていたんだ。何回もシャワー浴びて。パンツ一丁にしようか、それとも全裸がいいかと、何回も何回も着たり脱いだり着たり脱いだり・・・あっ。服・・・結局、どうしたんだっけ。

記憶を辿れば、恥ずかしい自分の姿がどんどん浮かんでくる。もしや、今もまだ裸、もしくはパンツ一丁なのか。彼は恐る恐る自分の体を探った。どうやら服は着て居るようだ。が、馴染みのない手触り、ゴワゴワしたセメント袋のような手触りだ。実際、彼はセメント袋を触ったことなどない。多分、セメント袋ってこんな感じなんじゃないかという想像だけだが。

と、突然、ブザーの音が長く辺りに響いた。クイズ番組で誰かが答え損ねた時のアレのやけに大きいやつだ。残響とともに、それまで聞えていた機械の音が止んだ。そして、あちこちから人声が聞えてくる。

「あーつっかれたー。」
「今日はどうする?昼。」
「久しぶりに食堂いかねえか、冷やし中華始めたらしい。」
「あ、俺、今日弁当なんで。」

皆、どこかへ行くらしい。声達は遠くなり、人の気配は間もなく消えた。

出て行った?出口があるんだ。

音の響き方からすると、小学校の体育館程度か。目からの情報がないのはなぜだ?ああそうか、さっきから辺りを見回しても真っ暗なのは、目隠しをされているからだ。
頭が次第にはっきりしてきた。
彼は、慎重に自分の顔を探る。なんだ、ただのアイマスクじゃないか。
そしてゆっくりと起き上がる。
物々しい機械達、上から幾つもぶら下がっているチューブ、何に使用するのか分からない大小様々の工具が放り出されている。そして、高い天井附近に貼り付いているすすけた看板には「安全第一」と大きく書いてある。
やはり、ここは何かの工場らしい。そして、昼休みになって工員達は皆、食事の為に出て行ったのだ。
訳がわからない、なぜ、どうして、ラブホテルから工場に?
思い出そうとすると、頭が割れそうに痛くなる。
すると、背後から
「あれ?」
と、声がした。
振り向くと、もじゃもじゃの髪の毛をした映画に出て来るマッドサイエンティストが立っている。いや、菜っ葉服を着ている、しかもにこにこしているぞ・・・訂正、マッドサイエンティストみたいな親父、だ。
「キミ、新入りだな。」
菜っ葉服のマッドサイエンティストみたいな親父は目をパチパチさせてる。
「あ、えっと。」
菜っ葉服の・・・繰り返すのは面倒だから親父、だ。親父が何者か、ここがどこかすら分からないのだから、慎重に、冷静沈着に。カレは全身からよく分からない汗が噴き出すのを感じていた。
「ああ、やっぱり初日はキツいかぁ。ほら、そんな辛気くせぇ顔してねえで。昼、まだだよな。よし、オレがおごってやらあ。」
「あ、イヤ・・・僕はえっとその。」
「まあ、遠慮すんなっていいワケェもんがよ。」
親父はカレの肩をぐいぐい押した。親父には彼が工員に見えるらしい。
「角の食堂でよ、冷やし中華始めたらしいんだよ。」
黄色と黒の段だらになった鉄骨のアーチ、その先には出口らしき鉄の扉がある。親父は彼を無理矢理に押しながらそちらへ向う。

外・・・?

ギィーと重たい扉が開くと、今度は眩しさに目がくらんだ。
そうか、今は昼。にしても、暑い。こんなに暑けりゃ、2月でも冷やし中華始めるか・・・そんな訳ない・・・彼は再び気を失った。

1-1 東京某所 プロローグです

東京のはずれ、ほぼ千葉県といってよい某所。
某所とぼやかしてあるのは、登場人物及び「某所」の名誉のためである。決して書き手が設定の説明を面倒がっているからではない。
とはいえ、明らかになったといって、彼の名誉を守ることにはならないだろう。なぜなら彼は今、古びたラブホテルの一室で、素っ裸のままベッドの隅に腰かけてクレームを入れている最中なのだし、それを書かずに物語は始まらない。

「だから、15分で来るってさっき言いましたよね?もう随分待ってるんだけど。」

サイドテーブルにあるのは、手札サイズのチラシ。彼が駅前の電話ボックスにびっしりと貼られているおびただしい数のチラシの中から、その一枚を探し出したのは今から1時間程前。そこには、一文字一文字派手な色で塗り分けられた丸い文字でこうあった。
「女子大生とイケナイひと時。ホワイトルーズソックス 電話×××-○○××」

(女子大生じゃなく、本当は女子高生が来るんだぜその店。・・・表立っては言えないだろう?だからさあ、ほら、店名がさ、ホワイトルーズソックス、なんだよ。わかるひとには、伝わる、っていうかさ。)

あの喫茶店で常連達が話していたことは本当だろうか。
生まれてから三十年、これといった遊びもせず極々真面目に過ごしてきた彼が、ふと、「女子高生」という言葉に耳をそばだてたのは昨日の事だった。

勤めていた会社から解雇通達をうけた。
周囲には独立して起業しようかと思って等と繕ったが、そんな嘘はバレバレだろう。貯金もないし、再就職のアテも意欲もわいてこない。特に仕事熱心でもなかったし、居心地のいい会社でもなかったが、解雇されるとなると話は別だ。そもそも商社マンなんて向いてなかった。・・・適性がないのを、どうにか折り合いをつけて頑張ってきたというのは、向いている人の何倍も頑張ってきたということじゃないのか。そういうところはもう少し評価されていいのではないのか。退社が決まった途端、やりかけの仕事は早速後輩に回され、取引先に挨拶を一通り済ませたら、あとはもうタイムカードを押しに来るだけのような日々。居てもいなくてもいいような状態が、あと一ヶ月も続くのか。すっかり気力が失せてしまった彼は、連日ホワイトボードに「得意先まわり 直帰します」と書いて、三時をまわればそっと帰り支度をするのだった。
その日、会社を出、いつもなら通らない路地をふらふらと歩いていると小さな喫茶店を見つけた。
そこは初めて入った店で、特に人目を惹く様な外観でもなく、楷書で「珈琲」と書いただけの控えめな看板があるきりだった。中に入ってみればカウンタとテーブル席を合わせて十席ばかりの小さな造り、この時間ならお客もいないだろうと思っていたが・・・。
常連客らしい中年男達が店主らしい男と何やら盛り上がっていたのだ。
狭い店内でもあるし、その場に居れば自然と話題に入らざるを得ない。長いものにはとにかく巻かれてきた彼は、そのまま話を聞くハメになった。
それにしても、と彼は思い出す。平日のこんな時間に喫茶店に入り浸っているのだから、こいつらきっと堅気ではないだろう。いや、見るからに、明らかに堅気ではなかった。そんな奴らの情報に躍らされた自分が、今では少しだけ情けなく感じられた。

「あんた、話聞いてたよね。うそだと思う?」
お客のひとり、女物のカーディガンをはおったスキンヘッドが、不意に彼の目をみるようにして言った。指輪だらけでカップを持つ手は小指が立っていたけれど、物腰はれっきとした初老の男だった。芸術家か何かの類いか、それともただの面白いおじさんか。それによって態度を変えよう。彼はヘラヘラと曖昧な愛想笑いをした。
「うそじゃないってば。都内じゃ摘発が厳しくなってるから、わざわざあんな江戸川超えるかギリギリのところで営業しているんだって。ねえ。」
派手な格子縞のスーツを着た男が口を挟む。小太りで艶のいい顔がまるで腹話術の人形みたいに見える。
「場所はどこであれ、未成年なら違法行為ですよね。」
カウンターの中にいる苦虫をかみつぶしたような顔の店主らしき男が言った。
「ええっ、マスター、今更そんなこというの?」
腹話術の人形男の言葉を食う様に店主が
「マスターとは不愉快な呼び名です。」
「マスターだって、さっきまでノリノリで話してたじゃないですか。」
「そういう品のない会話はよその店でお願いします。」
店主が、明らかに彼を指すような目配せをしているのに、腹話術人形の方は気付いていないようだ。
「うちは、そこらの安い店じゃないので。」
彼はドキリとして、眼の前のコーヒーカップを見た。陶器のことはよく分からないが、クネクネした薔薇の模様がいかにも高級そうだ。常連客のざっくばらんな感じで気付かなかったが、シンプルだがきっとこだわりがあってそうしているのだろう漆喰の壁に同じくこだわりがありそうな調度品。彼がいつも昼休みに入る喫茶兼スナックにある、いや、彼が全国どこの喫茶店にもあると思い込んでいた週刊誌も「マカロニほうれん荘」全巻も見当たらない。そして、メニュー表を探したが、これもまたどこにも見当たらない。
(一体、いくらとられるんだろう)
内心の動揺を隠すため、彼は曖昧な愛想笑いを続けざるを得なかった。
「マスターはね、必要ないのよ。実際モテてるんだから。」
スキンヘッドが言うと、店主は珈琲カップの棚を見繕う素振りで後ろを向いた。
「ええっ、何々?マスターってコギャルと付き合ってるの?」
「コギャルとは、品のない言い方ですよ。ねえ、マスター。君も、そう、思うよね。」
腹話術人形がカウンターに身を乗り出すと、隅の席に座っていた男の姿が明らかになった。視界に入らなかったのも無理はない、全身黒ずくめ、レザーパンツの間違ったバイカーみたいな男がニコニコというか、ニヤニヤしながらこちらを見ていた。
「美は細部に宿る、です・・・あの足の付け根ギリギリの短いスカートの下から始まって、白いギプスのようなルーズソックスに膝から下が覆われることにより肉体から分断されたような存在となった太股。あの制服の着こなしが、彼女達自身の内から文化として産み出されたのだから・・・彼女達は自らのエロティシズムを完全に把握し、我々男性を惑溺させる手段を持って居る。素晴しいというか、恐ろしいことです。」
男はさらにニヤニヤしながらこちらににじり寄って来る。
「要するに、コギャルが好きなんだな、佐藤さんは。」
腹話術が男を佐藤と呼んだ。
「わかっちゃいないなあ。僕は美の話をしているんですよ。」
佐藤さんは腹話術を押しのけるようにして彼に迫る。
「僕等には理解し得ない言語で意思疎通を行い、学生である特権を十二分に利用しながら、僕等大人の侵入を阻む結界の内に居て、大胆不敵に僕等を誘惑し、ぎりぎりのところでかわして楽しんでいるんです。
しかし、それも永遠ではない。
彼女らが彼女らたり得る期限は三年。人生における、たった三年間ですよ。PHSの裏に貼られたプリクラも、丸文字で書かれた小さなメモ達も、卒業とともに色褪せ枯れてしまう花びらです。つい昨日までの制服が、卒業とともにみっともないコスプレに成り下がる。女子高生という生物の死です。」
「・・・佐藤さん、気持ち悪がられてるって。」
黒ずくめの男がどんどん彼に覆い被さってくるのを、腹話術人形が引き離してくれた。黒ずくめの佐藤さんは、不服そうに腹話術の方を一瞥すると、今度は彼を見てニヤニヤしながら深くうなづいた。何か言わなければ、と彼は思案した挙げ句
「あの。」
「・・・コギャルって、何ですか。」
佐藤さんは呆れたというように大げさに頭を振った。
まずいと思った彼は慌ててつけ加えた。
「あ、あの・・・パンストもいいですよね。あったかいみたいだし。」
「はぁー、君、何聞いてたわけ。今そんな話してなかったでしょう。ルーズソックスとパンティストッキングは相容れないものです。あの肌色のテカテカした化学繊維をまとった女子高生がどこにいます?女子高生は生足ですよ!冷えて毛細血管が浮いてまだらになった太股もまた美しい。ねえ、マスター。マスターは僕のよき理解者です。」
「・・・マスターはやめて。」
店主は後ろを向いたまま歎くが、誰の耳にも届いていなかった。
「美の求道者ですからね、マスターは。珈琲も美味しいし、第一、君たちのように、職業女子高生には興味ないしね。」
さすがに彼も居心地の悪さを隠せず、そろそろ店を出ようとした途端、スキンヘッドが耳元で囁いた。
「ホワイトルーズソックス、あんた行ってみて。」
それに被せるように、店主がレシートらしい紙片を差し出した。
「ブルーマウンテンブレンド、2500円頂戴いたします。」

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