6 某所-彼

「・・・ここは一体どこだろう?」
彼は目を覚ました。意識が戻る前、遠い夢の中で聞いていた音が、くっきりと輪郭を現わして耳に響いてくる。工場のような、機械が動き金属がぶつかり合うような音、ブーンというモーター音のようなもの。辺りをよく見ようと首を持ち上げるが、すぐに痛みで断念した。

どうしたんだっけ。

ああ。自棄になって、思い切って風俗デビューしようとして、電話をかけて、ホテルで女の子を待ってたんだ。そしたら、そしたら・・・。
女子高生という触れ込みのチラシだったのに、やって来たのは巨大な、恐ろしい・・・あれ?なんだっけ。そこから記憶がない。

どうしたんだっけ?

そう、待っていたんだ。何回もシャワー浴びて。パンツ一丁にしようか、それとも全裸がいいかと、何回も何回も着たり脱いだり着たり脱いだり・・・あっ。服・・・結局、どうしたんだっけ。

記憶を辿れば、恥ずかしい自分の姿がどんどん浮かんでくる。もしや、今もまだ裸、もしくはパンツ一丁なのか。彼は恐る恐る自分の体を探った。どうやら服は着て居るようだ。が、馴染みのない手触り、ゴワゴワしたセメント袋のような手触りだ。実際、彼はセメント袋を触ったことなどない。多分、セメント袋ってこんな感じなんじゃないかという想像だけだが。

と、突然、ブザーの音が長く辺りに響いた。クイズ番組で誰かが答え損ねた時のアレのやけに大きいやつだ。残響とともに、それまで聞えていた機械の音が止んだ。そして、あちこちから人声が聞えてくる。

「あーつっかれたー。」
「今日はどうする?昼。」
「久しぶりに食堂いかねえか、冷やし中華始めたらしい。」
「あ、俺、今日弁当なんで。」

皆、どこかへ行くらしい。声達は遠くなり、人の気配は間もなく消えた。

出て行った?出口があるんだ。

音の響き方からすると、小学校の体育館程度か。目からの情報がないのはなぜだ?ああそうか、さっきから辺りを見回しても真っ暗なのは、目隠しをされているからだ。
頭が次第にはっきりしてきた。
彼は、慎重に自分の顔を探る。なんだ、ただのアイマスクじゃないか。
そしてゆっくりと起き上がる。
物々しい機械達、上から幾つもぶら下がっているチューブ、何に使用するのか分からない大小様々の工具が放り出されている。そして、高い天井附近に貼り付いているすすけた看板には「安全第一」と大きく書いてある。
やはり、ここは何かの工場らしい。そして、昼休みになって工員達は皆、食事の為に出て行ったのだ。
訳がわからない、なぜ、どうして、ラブホテルから工場に?
思い出そうとすると、頭が割れそうに痛くなる。
すると、背後から
「あれ?」
と、声がした。
振り向くと、もじゃもじゃの髪の毛をした映画に出て来るマッドサイエンティストが立っている。いや、菜っ葉服を着ている、しかもにこにこしているぞ・・・訂正、マッドサイエンティストみたいな親父、だ。
「キミ、新入りだな。」
菜っ葉服のマッドサイエンティストみたいな親父は目をパチパチさせてる。
「あ、えっと。」
菜っ葉服の・・・繰り返すのは面倒だから親父、だ。親父が何者か、ここがどこかすら分からないのだから、慎重に、冷静沈着に。カレは全身からよく分からない汗が噴き出すのを感じていた。
「ああ、やっぱり初日はキツいかぁ。ほら、そんな辛気くせぇ顔してねえで。昼、まだだよな。よし、オレがおごってやらあ。」
「あ、イヤ・・・僕はえっとその。」
「まあ、遠慮すんなっていいワケェもんがよ。」
親父はカレの肩をぐいぐい押した。親父には彼が工員に見えるらしい。
「角の食堂でよ、冷やし中華始めたらしいんだよ。」
黄色と黒の段だらになった鉄骨のアーチ、その先には出口らしき鉄の扉がある。親父は彼を無理矢理に押しながらそちらへ向う。

外・・・?

ギィーと重たい扉が開くと、今度は眩しさに目がくらんだ。
そうか、今は昼。にしても、暑い。こんなに暑けりゃ、2月でも冷やし中華始めるか・・・そんな訳ない・・・彼は再び気を失った。

4 外神田 電話がかかる

「本田くん、あれから進展はないの?」
昼休み中、電話当番で事務所に一人留守番のさちこは、本田記者に電話をかけた。隣のデスクは埃がたまったままだ。妙な事件に巻き込まれた「彼」がいなくなって2週間、仕事自体にはとくに支障はない。が。
「え?何?仕事中に電話して大丈夫かって?なに言ってるの、昼休みなのよ。え、私?私は今留守番中。
え?何か変わった事?
特にないし。あっ、ある!
部長が、なんか様子がおかしいのよ。なーんか、ぼんやりして溜息ばっかりついちゃって・・・ウォークマンなんて聞いちゃって。勤務中によ?しんじらんない。高校生かっつうの。」

そう、最近、部長の様子が変なのだ。
さちこに対しても、いつもなら、「さちこくん、カップにコーヒー入れてくれたまえ。Cカップが好みだねえ。」とかなんとか、用事に絡めてセクハラめいた言葉を連発するのに、めったに話かけてもこない。
怪しげな宗教に洗脳CDでも売りつけられたのかと、さちこは部長がトイレに立った隙を見て机の上に置かれたウォークマンの蓋を開けてみた。
「KRAFTWERK」
角張った英文字がCD盤面に並んでいる。
はぁ?テクノ?なにそれ。意味不明すぎる。

「ねえ、本田くんどう思う?あ、会社の電話だから、心配しないで。お金かかってないから。えっ?それじゃない?クラフトワークじゃないって?
まあ確かにね、おやじはムード歌謡ってとこよね・・・。
え?そうじゃなくて?あいつから連絡はないかって?
・・・あるわけないじゃない。あったら本田くんに電話なんかしないし。」

その時、部長の机の電話が鳴った。
「あっ、ちょっと電話かかってきたから。じゃあね。仕事さぼってるんじゃないわよ。」
さちこは慌てて電話を切り、部長のデスクへ小走りで向った。
「はい、大人の玩具伝統こけし販売、です。」
「モシモシ。」
電話口の向うから、やけに平坦なイントネーションの声が聞えた。
「モシモシ、ワタシ、デス。ブチョ、サン。」
はっきりと発音されてはいるのだが、何か妙にぎこちない。
なにこれ?電話口からテクノ?
「こちらは、伝統こけし販売ですが、どちらさまでしょう?」
「ワタシ、ワタシ。」
「お名前をおっしゃってください。」
「ナンバーワン デス。」
テクノだテクノ。テクノの悪戯電話だ。丁度いい、退屈だから少し付き合ってやれ。さちこは部長の椅子に座り、軽く咳払いをした。
「ナンバーワン様でいらっしゃいますか?」
「ハイ、ソウデス。」
「部長に、どのような用件でしょう?」
「エイギョウデス。エイギョウデンワ、カケテマス。」
もしかしたら、海外の商社だろうか?こけしが珍しい工芸品というので、時折、海外から取引の提案等の案件が舞い込んでくる。日本語が堪能でない社員が大胆にも片言以下の語学力を駆使してアポイントをとってきているのかもしれない。恥や体面を重んじる日本人ならまずしないことだが、そこはお国柄、過去にも一度、そんなことがあったし。リスクも大きいが、日本の伝統工芸という事で、ハッタリで案外大きなビジネスにつながる可能性があるから、ここは丁寧な対応を。腕の見せ所よ、さちこ。と、さちこは自分につぶやいた。
「部長はただいま席を外しております。恐れ入りますが、もう一度、お名前と、御社の社名を頂戴できますか。」
「ナンバーワン。」
「ええっと。アーナターのー、おーなまーえとー。かーいしゃーの、おーなまーえをー、ぷりーずてるみー。あんだすたん?」
「・・・。」
沈黙の向うで、工場か工事現場のようなガチャンガチャンという音が連続してかすかに聞こえてくる。そして、シューシューという、蒸気が噴き出すような音。
「ナンバーワン様?」
電話の主は沈黙したままだ。
やっぱり、悪戯電話なのか?
と、いきなり、先程とは打って変わった流暢な日本語がさちこの耳に飛び込んできた。
「・・・もしもし!もしもし!」
日本人、しかも聞き覚えのある声。
なにこれ?さちこが一瞬息を飲んで、それから何か言い返そうとした時、電話はぷっつりと切れた。
うわ、わたし、今いやな汗がブワッと出て来た。
やだ、あれ、あいつの声じゃん。でも、なんで部長宛の電話に?
これはひとまず本田くんに電話よ、と、さちこは再び受話器を取った。

ツーツーツー。

話し中だ。
そこに、昼食を終えた部長が帰ってきた。
「さちこくん、僕の机でなにをしているんだね。」
「あ、いえ。・・・先程、部長宛にお電話がありまして。」
「誰?」
「ええと、海外の方みたいでした。ナンバーワン様とだけ。」
それを聞くと、部長の顔がみるみる赤くなった。
「あ、ああ。な、何か、言っていたかね?」
「それが、あの、ご用件をお伺いする前に切れてしまって。」
「あ、そう。」
部長は落ち着かなげに机に坐った。そして、平静を装うようにおもむろに机の上のコーヒーカップに手をのばした。
「あ、あの、部長。」
やっぱり、こいつ、おかしい。
「・・・こぼれてますよ。」
部長はぎくりとして「なに?」と素っ頓狂な声をあげた。
「・・・コーヒー、口に当てて飲んでください。」
部長のカップは口元をそれ、鼻の穴に飲ませるような恰好に当っていた。
無論、机の上は茶色い池である。

2-3 神田の外れよぉ その2

さちこが半ば強引に本田記者を連れ込んだのは、会社からほど近い外神田の煮込みうどん屋だった。
ランチタイムには近隣のビジネスマンで混雑する人気店だが、いかんせん入り組んだ路地にある為、13時を過ぎると店内はがら空きになる。人に聞かれたくない話をする時は、下手な喫茶店より穴場なのだ。そして、あいつの無断欠勤のせいで昼休みがなかったから丁度いいわというさちこの都合でもあった。
「あの・・・。」
本田記者は落ち着かない様子で周囲を見回している。
「ふふ。どうして煮込みうどん屋さんなのか、って、聞きたいでしょ。この辺はゆっくり話せる店って少ないし。私はうどんよりソバ派なんだけど、今日は肌寒いからうどんの気分なの。あ、私、カレーうどんにしよう。」
「あの。」
「ああ、私さちこ。あいつの同僚というか後輩。入社したのは今年に入ってからなんだけどね、なんでも聞いていいよ。答えるから。」
「あの・・・恐縮ですが。」
「なによ。」
「ここは、味噌煮込みうどんじゃないでしょうか。」
「はぁ?」
「ここ、味噌煮込みうどん専門店じゃないですか、カレーうどんなら他でも。」
「私がなにを頼もうと勝手でしょ。」
「うわあ、勿体ないなあ・・・。」
何やらこいつもめんどくさい男のにおいがする。
「てか、もっと違うとこにつっこみ入れない?
なんでこんなとこに連れてくるんだ、とか、ほら。」
本田記者は半ばさちこを無視して、うっとりとメニュー表を眺めて居る。
「いやあ。いいお店ですよ、佇まいもこのメニューのよごれっぷりも絶対美味しい感じだし。外神田には名店が多いっていうけど、ほんとここ、美味しい予感しかしない。うわあ、味噌も二種類から選べるんですね・・・どうしようかなあ。」
まるで少年のように、とはこの事か。つやのある頬を一層輝かせ、本田記者はもう夢中だ。まずは、うどんを食べてからね、私もお腹空いてるし。呆れながらもさちこは注文お願いしますと手をあげた。
「私、カレーうどん。・・・絶対、美味しいし。」

 

「ふぅ、ごちそうさま。」
「やっぱり味噌煮込みで正解でしたね。本場名古屋の八丁味噌がいい仕事してました。」
ていうかここ外神田だし、と言いたい気持ちをさちこはぐっと堪えた。
本田は満足そうに紙ナプキンで口元を拭いている。
「本田さん、食べるの好きなのね。」
「はい、大好きです。ぼく、元々グルメ雑誌のライターをしていたんです。」
「へぇ。好きを仕事にできるっていいじゃない。」
「ええ、でも、好き過ぎて。取材で食べてたらちょっと太ってきちゃったんで・・・ダイエットも兼ねてフィールドを変えたんです。」
「それで、事件記者ねぇ・・・。」
「結構えぐい現場の取材もあるから、食欲わかなくなっていい感じです。」
「そ、そう。」
「そうなんですよ。今回もここだけの話、入手した現場写真、ベッドの上が血の海で。あ、まさにこんな感じ。生乾きの血とか体液とか、この味噌煮込みの残り汁みたいなのが一面べったりでした。ああ、よかった、食べた後に思い出して。」
まだ、カレーうどんの方にしといてよかったと、さちこは思った。
「いくらラブホでも、あれは掃除が大変だろうなあ。」
「そうそう、それよ。そのラブホ殺人の話じゃない。」

本田記者が追っているという、ラブホテル殺人魔事件とは、半年程前から都内のラブホテルで起こっている未解決の連続猟奇事件である。
最初は、今から半年前だから昨年の九月になる。新宿は歌舞伎町のホテルで、女性客が刺殺された。その後、都内各所のラブホテル街で、同じ手口の殺人が毎月のように連続して起こっている。
犯人は同伴相手男性と見られているが、場所柄、チェックインする際に名前を聞く事は愚かお客の人相風体をまともに見る事もない為、犯人は勿論のこと、被害者の身元を割り出すのにも時間を要した。
「指紋も、もうあちこちベタベタいろんなお客のが付着しすぎていて手がかりにはなりにくいみたいです。それに、被害者女性は全・・・」
本田記者は赤面した。
「全・・・ての持物、衣服等身につけるものをですね、持ち去られているので、身元確認が大変らしいのです。」
「でもほら、相手の男がひとりで出て行ったら、おかしいなって分りそうじゃない?それにさ、防犯カメラとかは?」
「そうなんですけど・・・不思議なのは、相手男性らしき人物がひとりでホテルを出たことに誰も気が付かないんです。勿論、防犯カメラにも映っていないし。」
「・・・やるわね、あいつ。とんでもない五時から男だわ。」
「あ、いえいえ。あいつさんはですね、重要参考人というだけでして。」
「私、知ってる。重要参考人っていうのは、ほぼ犯人ってことなのよね。」
「いやあ、その。そうとばかりは・・・特に今回は。」
「なによ。」
「犯人は、鋭利な刃物で急所をぐさっ、ですよ。刃物の扱いに非常に慣れた、プロの手際です。日常的にそういった仕事に関わっているか、相当デキるひとの仕業です。お話を聞く限りでは、あいつさんはボンクラ、なんですよね。」
「なに?いくらなんでも社外の人間がうちの社員をボンクラ呼ばわりするって、失礼じゃない?」
「あいえ。すみません、味噌煮込みうどんでテンションがあがりすぎて、つい。」
それもそうか。確かにあんなに不器用でやる気のない男が、プライベートで急変するとは思えない。そんなのお話の世界だけよね、とさちこは内心思ったが、カッとした態度を急に引っ込めることも出来ない。
「大体ね本田さん、あなた、聞き込みにきたんでしょ?なに誘われるままにうどん食べて、聞かれもしないことを初対面の私にペラペラしゃべってるのよ。あなたこそボンクラ記者じゃない。」
「・・・それも、言い過ぎだと思います。」
本田の目にうっすらと涙が浮かんだ。
さちこは慌てた。
「ああ、でも、その捜査困難な状況で、よくあいつがうちの社員だって突き止めたわね。まだ、警察も調査に来てないわ、すごいわ。」
「ぼく、独自の調査網を持ってるんです。やればできる子なんです。」
本田は、うつむきながら煮込みうどんの残り汁を啜った。どうやら機嫌を治してくれらたしい。単純ね、男って。
「ここだけの話ですが、現時点では、あいつさんは本当に重要参考人というだけで、犯人とも被害者とも、あるいは関係ないとも・・・」
「ちょっと待って。被害者ってどういうこと?」
「ここだけの、話ですよ。」
「あいつさんが居たお部屋は、犯行現場の隣なんです。」
さちこは訳がわからなかった。なぜ、隣の部屋のあいつの聞き込みを?
「・・・今回のケースはですね、一連の事件と幾つか違う点がありまして。
ひとつは、これまで事件は都心に近いホテル街で起こっていた。でも、今回の犯行場所となったホテル横島というホテルは、江戸川に近い、ほぼ住宅街と小さい工場で成立しているような地域にポツンとあるホテルなんです。ほら、郊外というか地方の町の駅裏に、飲み屋とかパチンコ屋とかゲーセンとかが固まってる場所、近隣のPTAというか、お家のおかあさんが子供にあそこに近寄ったらいけませんよというような所です。
被害者の女性も、最初から身元は分っているんです。地元の、なんというかコールガールで、ホテルで客と待ち合わせてサービスを提供するコで、これまでの被害者とは違って、そういうプロなんです。そして・・・」
「じゃあ、連続殺人事件とは別の事件なんじゃない?」
「そうとも言い切れないところがありまして。犯行現場そのものは、一連の事件と見事に一致しているので、恐らく同一犯人だと推定されるのですが。」
「が?」
「なぜか、犯行が行なわれたと覚しき時刻に、隣室のドアが破壊されていまして。そこに一人で居たはずの、あいつさんが居なくなっていたんです。
しかもこちらは、衣服を残したまま・・・。」
「なになに?ちょっとよく分からない。
そもそも、なんであいつ一人でそんなとこに居るのよ。」
本田はまた、顔を赤らめながら言った。
「それは・・・アレ、じゃないですか。」
「アレ?」
「あいつさんの部屋から、小さなチラシが発見されたそうです。所謂、その、公衆電話ボックスに貼ってあるような・・・」
「はっきりいいなさいよ。」
「はい。」
・・・あいつ、仕事さぼってホテトル呼んでやがったのか。
「あ、ホテトルって今使っちゃいけないんですよ。ホテトルのトルの部分、トルコ風呂っていうのが、国差別的になるからNGで。今はソープランドっていうんですが、それも地域差別にあたるんじゃないかとぼくは思うんですけどどうなんでしょう。」
「なんで、私が今思った事が分ったの?超能力者?」

本田記者はにやりとした。

「だって、さちこさん。思った事、無意識に口に出してしゃべるタイプですよね。」

アタリ!やはり、こいつは超能力者だ。・・・ってあれ?

1-2 東京某所 プロローグつづきです

特に女子高生に執着がある訳でもなかった。
うさん臭い連中のうさん臭いうわさ話に乗っかって、人生初の風俗を体験しようと思ったのはなぜか。彼自身、今こうしている自分が自分ではないようで、うまく説明は出来ない。
勿論、本物の女子高生が来るはずがない。明らかに違法だし、逆に本当にやって来たらどうしていいのか分からない。が、少なくとも、女子高生風の若いコに、何らかの相手をしてもらえる訳だ。
「あれ?まだ到着してませんか?こっちも連絡してるんですが・・・ピッチもつながらないみたいで。」
電話口で彼と同世代位の声が言った。
「すみません、お客さん。なにしろ今時の子なんで、仕事意識がないっていうか・・・急いで他の子を向わせてます。あ、ご心配なく、今度の子はちゃんとしたプロですから。」
プロ、プロって言った・・・。てことは、そうじゃないのも居るって事?つまり、途中で、所謂バックレた女の子は本物の女子高生だった可能性もあった訳?ふとそんな妄想がよぎると、彼はなにかクジにはずれたような気持ちになった。

いやいや。いくらなんでも人生初で、女子高生はだめだ。でも・・・。

少年レマルク 1-2「安心してください。若くて元気な子です。」
電話口の男は機嫌をとるように言い添えた。
受話器を置くと、彼は足許に畳んだ下着を身につけはじめた。やはり、ああいうサービスだとはいえ、初対面で全裸はおかしいだろう。さっきから、何度、脱いだり着たりしたことか。その前に、もう一度シャワーを浴びておいた方がいいだろうか。とりあえず、パンツは穿こう、そうだ、それがいい。
今朝おろしたばかりのトランクスを穿こうと片足で立つ恰好になった時、不意にフラフラとした。気のせいか地面が揺れている。
眩暈?地震?いや。
軽く地響きがする。どこかで工事でも始まったような、ズシーン、ズシーンという音が聞こえだした。
地響きは一定のリズムで大きくなる、ひどく乱暴な足音のようにも感ぜられた。そしてそれは、部屋のドアの前でピタリと止まった。
(デブ・・・いや、豊満な子なんだろうか?・・・ちょっと豊満すぎるのは困るなあ)
「ドン!」
ドアに体当たりしているような衝撃があった。これがノックだとしたら随分と乱暴な子だ。
「はい。」
タイプじゃない子だったら、チェンジ出来るって言ってたな。顔を見るまでもない、これは絶対にタイプじゃない。
「ドン!ドン!」
「はーい。ちょ、ちょっと待って。」
と、
「ドシーン」
ドアが開いた。というか、ドアが内側に、破られた。
その衝撃で、彼の体も後ろに飛んだ。いや、単に腰を抜かしたのかも知れない。薄暗い室内からだと、廊下の照明に負けてすっかり逆行になっているが、その足許のシルエットは、確かにルーズソックスだった。

プロローグはおしまい

1-1 東京某所 プロローグです

東京のはずれ、ほぼ千葉県といってよい某所。
某所とぼやかしてあるのは、登場人物及び「某所」の名誉のためである。決して書き手が設定の説明を面倒がっているからではない。
とはいえ、明らかになったといって、彼の名誉を守ることにはならないだろう。なぜなら彼は今、古びたラブホテルの一室で、素っ裸のままベッドの隅に腰かけてクレームを入れている最中なのだし、それを書かずに物語は始まらない。

「だから、15分で来るってさっき言いましたよね?もう随分待ってるんだけど。」

サイドテーブルにあるのは、手札サイズのチラシ。彼が駅前の電話ボックスにびっしりと貼られているおびただしい数のチラシの中から、その一枚を探し出したのは今から1時間程前。そこには、一文字一文字派手な色で塗り分けられた丸い文字でこうあった。
「女子大生とイケナイひと時。ホワイトルーズソックス 電話×××-○○××」

(女子大生じゃなく、本当は女子高生が来るんだぜその店。・・・表立っては言えないだろう?だからさあ、ほら、店名がさ、ホワイトルーズソックス、なんだよ。わかるひとには、伝わる、っていうかさ。)

あの喫茶店で常連達が話していたことは本当だろうか。
生まれてから三十年、これといった遊びもせず極々真面目に過ごしてきた彼が、ふと、「女子高生」という言葉に耳をそばだてたのは昨日の事だった。

勤めていた会社から解雇通達をうけた。
周囲には独立して起業しようかと思って等と繕ったが、そんな嘘はバレバレだろう。貯金もないし、再就職のアテも意欲もわいてこない。特に仕事熱心でもなかったし、居心地のいい会社でもなかったが、解雇されるとなると話は別だ。そもそも商社マンなんて向いてなかった。・・・適性がないのを、どうにか折り合いをつけて頑張ってきたというのは、向いている人の何倍も頑張ってきたということじゃないのか。そういうところはもう少し評価されていいのではないのか。退社が決まった途端、やりかけの仕事は早速後輩に回され、取引先に挨拶を一通り済ませたら、あとはもうタイムカードを押しに来るだけのような日々。居てもいなくてもいいような状態が、あと一ヶ月も続くのか。すっかり気力が失せてしまった彼は、連日ホワイトボードに「得意先まわり 直帰します」と書いて、三時をまわればそっと帰り支度をするのだった。
その日、会社を出、いつもなら通らない路地をふらふらと歩いていると小さな喫茶店を見つけた。
そこは初めて入った店で、特に人目を惹く様な外観でもなく、楷書で「珈琲」と書いただけの控えめな看板があるきりだった。中に入ってみればカウンタとテーブル席を合わせて十席ばかりの小さな造り、この時間ならお客もいないだろうと思っていたが・・・。
常連客らしい中年男達が店主らしい男と何やら盛り上がっていたのだ。
狭い店内でもあるし、その場に居れば自然と話題に入らざるを得ない。長いものにはとにかく巻かれてきた彼は、そのまま話を聞くハメになった。
それにしても、と彼は思い出す。平日のこんな時間に喫茶店に入り浸っているのだから、こいつらきっと堅気ではないだろう。いや、見るからに、明らかに堅気ではなかった。そんな奴らの情報に躍らされた自分が、今では少しだけ情けなく感じられた。

「あんた、話聞いてたよね。うそだと思う?」
お客のひとり、女物のカーディガンをはおったスキンヘッドが、不意に彼の目をみるようにして言った。指輪だらけでカップを持つ手は小指が立っていたけれど、物腰はれっきとした初老の男だった。芸術家か何かの類いか、それともただの面白いおじさんか。それによって態度を変えよう。彼はヘラヘラと曖昧な愛想笑いをした。
「うそじゃないってば。都内じゃ摘発が厳しくなってるから、わざわざあんな江戸川超えるかギリギリのところで営業しているんだって。ねえ。」
派手な格子縞のスーツを着た男が口を挟む。小太りで艶のいい顔がまるで腹話術の人形みたいに見える。
「場所はどこであれ、未成年なら違法行為ですよね。」
カウンターの中にいる苦虫をかみつぶしたような顔の店主らしき男が言った。
「ええっ、マスター、今更そんなこというの?」
腹話術の人形男の言葉を食う様に店主が
「マスターとは不愉快な呼び名です。」
「マスターだって、さっきまでノリノリで話してたじゃないですか。」
「そういう品のない会話はよその店でお願いします。」
店主が、明らかに彼を指すような目配せをしているのに、腹話術人形の方は気付いていないようだ。
「うちは、そこらの安い店じゃないので。」
彼はドキリとして、眼の前のコーヒーカップを見た。陶器のことはよく分からないが、クネクネした薔薇の模様がいかにも高級そうだ。常連客のざっくばらんな感じで気付かなかったが、シンプルだがきっとこだわりがあってそうしているのだろう漆喰の壁に同じくこだわりがありそうな調度品。彼がいつも昼休みに入る喫茶兼スナックにある、いや、彼が全国どこの喫茶店にもあると思い込んでいた週刊誌も「マカロニほうれん荘」全巻も見当たらない。そして、メニュー表を探したが、これもまたどこにも見当たらない。
(一体、いくらとられるんだろう)
内心の動揺を隠すため、彼は曖昧な愛想笑いを続けざるを得なかった。
「マスターはね、必要ないのよ。実際モテてるんだから。」
スキンヘッドが言うと、店主は珈琲カップの棚を見繕う素振りで後ろを向いた。
「ええっ、何々?マスターってコギャルと付き合ってるの?」
「コギャルとは、品のない言い方ですよ。ねえ、マスター。君も、そう、思うよね。」
腹話術人形がカウンターに身を乗り出すと、隅の席に座っていた男の姿が明らかになった。視界に入らなかったのも無理はない、全身黒ずくめ、レザーパンツの間違ったバイカーみたいな男がニコニコというか、ニヤニヤしながらこちらを見ていた。
「美は細部に宿る、です・・・あの足の付け根ギリギリの短いスカートの下から始まって、白いギプスのようなルーズソックスに膝から下が覆われることにより肉体から分断されたような存在となった太股。あの制服の着こなしが、彼女達自身の内から文化として産み出されたのだから・・・彼女達は自らのエロティシズムを完全に把握し、我々男性を惑溺させる手段を持って居る。素晴しいというか、恐ろしいことです。」
男はさらにニヤニヤしながらこちらににじり寄って来る。
「要するに、コギャルが好きなんだな、佐藤さんは。」
腹話術が男を佐藤と呼んだ。
「わかっちゃいないなあ。僕は美の話をしているんですよ。」
佐藤さんは腹話術を押しのけるようにして彼に迫る。
「僕等には理解し得ない言語で意思疎通を行い、学生である特権を十二分に利用しながら、僕等大人の侵入を阻む結界の内に居て、大胆不敵に僕等を誘惑し、ぎりぎりのところでかわして楽しんでいるんです。
しかし、それも永遠ではない。
彼女らが彼女らたり得る期限は三年。人生における、たった三年間ですよ。PHSの裏に貼られたプリクラも、丸文字で書かれた小さなメモ達も、卒業とともに色褪せ枯れてしまう花びらです。つい昨日までの制服が、卒業とともにみっともないコスプレに成り下がる。女子高生という生物の死です。」
「・・・佐藤さん、気持ち悪がられてるって。」
黒ずくめの男がどんどん彼に覆い被さってくるのを、腹話術人形が引き離してくれた。黒ずくめの佐藤さんは、不服そうに腹話術の方を一瞥すると、今度は彼を見てニヤニヤしながら深くうなづいた。何か言わなければ、と彼は思案した挙げ句
「あの。」
「・・・コギャルって、何ですか。」
佐藤さんは呆れたというように大げさに頭を振った。
まずいと思った彼は慌ててつけ加えた。
「あ、あの・・・パンストもいいですよね。あったかいみたいだし。」
「はぁー、君、何聞いてたわけ。今そんな話してなかったでしょう。ルーズソックスとパンティストッキングは相容れないものです。あの肌色のテカテカした化学繊維をまとった女子高生がどこにいます?女子高生は生足ですよ!冷えて毛細血管が浮いてまだらになった太股もまた美しい。ねえ、マスター。マスターは僕のよき理解者です。」
「・・・マスターはやめて。」
店主は後ろを向いたまま歎くが、誰の耳にも届いていなかった。
「美の求道者ですからね、マスターは。珈琲も美味しいし、第一、君たちのように、職業女子高生には興味ないしね。」
さすがに彼も居心地の悪さを隠せず、そろそろ店を出ようとした途端、スキンヘッドが耳元で囁いた。
「ホワイトルーズソックス、あんた行ってみて。」
それに被せるように、店主がレシートらしい紙片を差し出した。
「ブルーマウンテンブレンド、2500円頂戴いたします。」

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