5-2 新宿 屋上遊園地

「ああっ!なんてことを!・・・大事な備品を・・・弁償してくださいよっ!」
凍りついた空気を破り、伯母山美術部長は叫んだ。
皆が慌てふためいている中、亜町警部は眉間の皺を深くして壊れたテレビモニターを見詰めていた。
「まったく、パニックになって発砲するなんて警察官にあるまじきことですよ!誰です?だれだれ?探してくださいよ〜始末書っていうの?書かせなくていいんですか?」
「そうですね、誰なのか早急に探さなくては。」
亜町は静かにけれど鋭い口調で言った。
「・・・だが、始末書は書く必要はない。」
「な、なんと!」
亜町は半ば傍にいるメガネに説明するように言った。
「・・・これは弾が当って壊されたんじゃない。内側から破裂したのでなければこうはならない。・・・見ろ、テレビの部品にしては妙なものが出て来たぜ。」
メガネはまだブスブスと黒い煙をあげている壊れたテレビの中をのぞき込んだ。熱で半ば融けたタイマーのようなものがあった。
「これは。」
「そうだ。恐らく、時限爆弾のような仕掛けがしてあったのさ。映像が丁度いいところにきたら壊れるような仕組みだったのだろう。」
「そして、慌てたふりをしてタイミングよく空砲を打った。・・・ですね、亜町警部。」
「そうだ察しがいいなメガネくん。この中に、贋物の警察官が紛れ込んでいる。」
二人の会話を耳聡くきいていた伯母山が「みなさーん!」と叫び出す前に、人混みをかき分け逃げ出す影があった。
「あいつだ!」
「つかまえろ!」
にせ警官を捕まえようと、警備保障やデパート社員、そして本物の警官達が動き出す。が、いかんせん、こう人が多くてはただ混乱するばかり。
「エレベータに乗ったぞ!」
誰かが叫んだ。
「階段で先回りだ!伯母山さん、各階にアナウンスを。エレベーター前に人を集めましょう。」
「亜町警部?」
「メガネくんは屋上階を頼む!下に逃げるとばかりは限らないからな。」
亜町警部は数人の警官達と一緒に階段に向っていった。

その後ろ姿を見送りながら、メガネは空いている別のエレベーターに乗り込み、Rの文字があるボタンを押した。
デパートなんだから、エレベーターなんて一つや二つじゃないだろう。階段使うよりこっちのほうが移動は早いのに・・・それに・・・メガネは軽く溜息をついた。
自分も慌てていて聞き流したが、このガタイでモヒカンだっていうのに・・・初対面の亜町警部も「メガネくん」とは。
いやいや、ひとまずこの捕り物が終るまでは、この件について考えるのはよそう。
そして、
「チーン」というクラシカルな音がして、エレベーターは屋上階へと到着した。扉から外へ出ると、屋上遊園地のオブジェなのか、毒毒しい原色の巨大なキノコがにょきにょきとあちらこちらに生えている。錆びたアーチに「伯母急キッズランド」という看板が涙が出るような哀愁を誘う。
休館日なので、当然お客は誰もいない。空調の設備なのか、巨大な機械の轟々という音が外の喧噪と混じって物寂しい環境音楽を奏で寂しさは一層・・・な、はずだった。
が、視線の先、きのこの向うに、警官の恰好をした男がいた。
(こいつだ!)
と、メガネは男に突進していった。きのこのオブジェやベンチやコインで動くパンダにぶつかりながら、とうとう男を自動販売機コーナーに追いつめた。
もう逃げられないと観念したのか、男は青ざめてブルブルと震えた。
「お前が怪人二面相か。」
「ゆ、ゆるしてください。僕は頼まれただけなんです・・・」
メガネは形式的に警察手帳を見せた。
「話は後でゆっくり聞く。まずは一緒に来て貰おうか。」
「ほんとに、頼まれただけなんです。何も知らないんです、メガネの旦那。」
最後の一言でメガネのある一部の掛けがねが外れた。
男は、メガネの拳をくらって1メートル程飛んで、気を失った。

5-1 新宿 88951怪人二面相

メガネのポケベルが鳴った。
慌てて見ると、「44251889」とある。
「44(しょ)2(に)51(こい)889(はやく)」
署に来い早く、つまり、至急秋葉原署に戻れということか。緊急事態か、珍しいこともあるもんだ。
今時、数字表示のみのポケベルなんて不便この上ない。警察なんだから、迅速かつ正確に連絡をとるためにはPHS位持たせてくれ。しかも、裏側にべったりとテプラで「秋葉署/二課」と貼られている恰好悪さ。
そして、再びベルが鳴る。
「49」(シキュウ)

息を切らしながら戻ってみると、皆出払った後らしく、上司のおじいちゃん警部が一人、にこにこと迎えた。
「ベル打ち上達したでしょ。」
おじいちゃんは彼の方をポンポンと叩いて言った。
「メガネ君、キミ、これからガードマンね。」
「えっ?」
「新宿にねえ、怪人現る、だって。ガタイがよくて強面な感じの刑事を警護に何人か欲しいっていうから、うちの署からも応援送ってあげることにした。キミ、丁度いいからさ。行ってくんない?」
「889」っていう割に、呑気なもんだ。
が、怪人?聞き捨てならない。新宿と言えば、歌舞伎町・・・もしかして、ラブホテル殺人魔?メガネは一瞬ドキリとしたが、警護?警護ってなんだ。

つまりは、こういう事だった。
新宿伯母急百貨店の最上階にある、伯母急美術館で世界の名画展と銘打って、ヨーロッパの某美術館から大量の名画を借り、大がかりな展覧会を催すことになった。中でも一番の目玉は、これまで門外不出で幻の名画と謳われている「笑う貴婦人」だ。勿論、デパート側では警備保障会社に頼み、厳重な警備管理体制で作品を迎え入れるのだが、つい先日、その「笑う貴婦人」を盗むという予告電話がかかってきたという。
最初は、質の悪いイタズラだと取り合わなかったが、搬入も無事に済みあとは一般公開を待つばかり、係員達がホッとしていたその時、絵の額縁に大胆にも予告状が貼り付けられていたのを発見し、慌てて警察に届け出たのだそうだ。
更に大胆なのは、その予告状で、犯人は自ら「怪人二面相」と名乗っているという。乱歩のパロディかいなとユーモラスに受け取りたいところだが、二面相?二十面相じゃなくて二面相とは質素すぎて笑えない。

メガネは指示に従い、伯母急百貨店の現場へとかけつけた。
美術館スタッフと覚しい、ブランドスーツ姿が、不安そうな面持ちであちらに数人こちらに数人と固まって何やら話し合っている。その間を埋めるように、制服私服入り交じった警備員警察官達が待機する。すでにメガネの居場所なしといった風だが・・・言われた通り現場の責任者を探す。
美術館と聞いていたから、だだっぴろいホールの壁面に絵がかけられているのかと思ったらどうやらそうではない。広めの廊下といった体で、それがクネクネと曲がっており、たどっていくといつの間にか出口に誘導されているような会場のつくりだ。
(八幡の藪知らずか上品なお化け屋敷だな)
メガネはつぶやいた。マンダム先生のおかげで、薮知らずなんて形容が出来ちゃうところが密かな自慢だ。
少し行くと、若干開けた場所に出た。メインの展示はきっとここなのだろう。ここだけは絵との距離を十分にとるようにと、各所にパーテーションポールが廻らされている。その一角で、トレンチコートの襟を立てた目つきの鋭い男が高そうなソフトスーツを来た男に何やら言葉をかけている。あ、いかにも、いかにもじゃないか。メガネはそう思いながら、人をかき分けるようにして彼等に近づいていった。

「いいえ、絶対に中止は出来ません。」
ソフトスーツの男は細面のこめかみに青い血管を浮べながら訴えている最中だ。華奢な体がスーツの中で泳いで、強い口調の割に若干頼りない印象だ。
「今回の展示には社運をかけているんです。すでに明日のレセプションには、各界の著名人も招待しております。今更中止する訳にはまいりません。」
トレンチコートは不満そうに、眉間に皺を寄せた。
「しかし伯母山さん、「笑う貴婦人」は世界の宝とでもいうべき絵画です。傷がついたりしただけでも外交問題に発展しかねないというのに、盗難の危機に晒してまで展示するとは・・・有り得ない。どうか考え直してもらえませんか。」
「だから、警備保障会社の他に、こうして警察にもお願いしてるんじゃないですか。」
その言い方にカチンと来たのか、トレンチコートの眉間の皺は一層深くし、「警察にも、ねぇ・・・」とその後の言葉をぐっと呑み込んだ。そして気を落ち着かせる為か、無意識に内ポケットを探って、煙草を取出し、口元に持っていく。
「あっ!やめてください。なにしてるんですか!」
「あ、失敬。いつもの癖で。」
「世界の宝って、さっきあなたがおっしゃったじゃないですか。というか、美術品の前で喫煙なんて、有り得ませんからね!」
ソフトスーツのこめかみの青筋は今にもぶち切れんばかりになった。

メガネは思い出した、あの顔は、本庁の敏腕「非情のライセンス」と異名をとる亜町警部じゃないか。難事件の捜査には必ずといっていい程彼が関わっている。すると、今回のヤマもこの人が指揮するのか。敏腕デカと怪人の対決かあ。ラブホ殺人魔もいいが・・・おじいちゃん、いい現場に送り込んでくれて「39」(さんきゅう)、メガネは自分の頬が紅潮するのを感じた。

亜町警部は話題を変えた。
「それはそうと伯母山さん、予告状が置かれた場所というのは、本当に、あの「笑う貴婦人」の絵の前だったのですね?」
「ええ。」
「不思議ですね、そんなに容易く絵に近づけるとしたら、なぜ、その場で盗んでいかなかったのでしょう?」
「知りませんよ、私は探偵でも警察でもないし。」
伯母山美術部長はピリピリした口調で言った。
「あれじゃないですか?予告状には明日のレセプションの最中に盗み出す、とありましたらから、私共伯母急百貨店の面子を潰すのが目的なんですよ。
・・・これ位の威しで、祖父の代から続いている伯母急百貨店の名前に傷がつくもんですか。今は、一社員として美術部門の部長を任されていますが、いずれ、社長として双肩にこの百貨店を背負うのです、出来れば、いやなんとしてもそれまで無傷の状態で、いいえ、未来永劫ずっと無傷の状態でなければならないのです。だからこうして、警備保障会社の他に警察にもお願いして、極秘に警護と捜査をお願いしているんじゃないですか。」
「・・・警察に・・も・・・?」
「極秘という割には、随分と人が集まって。これじゃ、いかにも何かありますと言ってるようなものじゃないですか。」
伯母山の言葉を聞いて、メガネは思わず割り込んだ。
「誰?キミ。」
亜町警部がきょとんとしてメガネを見る。
「申し遅れました!わたくし、先程要請をうけまして、秋葉原署から参りました!」
うっかりしゃしゃり出てしまったがよかったのだろうか。余計な事を言うと、単なる警護の応援要員とバレる、メガネは極々簡潔かつふんわりとした自己紹介をして敬礼のポーズをとった。
「今日は店休日です。明日が控えておりますから、そのくらい人の出入りがあっても問題はないと判断しております。
警視庁の知人に相談したところ、出来る限りの協力をしていただいております。こうして、大変腕利きの警部さんもお越し下さっておりますし。」
伯母山は嫌味ったらしく、メガネに説明した。
「いーですかー!みなさーん。犯行予告があったなんて、家族にも、友達にも、恋人にも、言っちゃだめですよー!みなさんの力でー、「笑う貴婦人」と、伯母急百貨店を守り抜きましょー!」
伯母山は大声で周囲に呼びかけた。
ああ、この人は馬鹿なんだな、と、メガネは思った。
亜町警部も、やれやれと肩をすくめ、メガネに合図を送った。

「ふっふっふっふ。」
すると、どこからか忍び笑いが聞えてきた。笑ってしまうのも無理はない、が、その笑いが次第に大きく、やがて耳を聾せんばかりの高笑いになった。
皆、その声の主を探そうと一斉にキョロキョロし出したが、一体誰が笑って居るのか見つからない。
「ここだよ、ショクン。」
会場案内のモニターの中に、いつの間にか黒覆面の男の顔があった。とすると、声はモニターに接続されているスピーカーから聞えてくるのか。
「だ、誰だ!」
亜町警部はモニターの男に向って叫んだ。
「わたしは怪人二面相だ。はじめまして、亜町くん。」
二面相は不敵な笑いを顔に留めたまま、続けた。
「となりのガタイがいいキミは、亜町の助手かな?そう、わたしはこの画面の中から全てお見通しなのだ。」
「おかしい!あれは、VHSビデオデッキにつながっているだけの、ただのモニターだぞ。」
「ふっふっふ、説明がましい台詞をありがとう。わたしの手にかかれば、ただのモニターもへったくれもないのだ。わたしにはきみたちが見える。そして、きみたちも、わたしのすがたを見ているだろう?それが事実だ。」
「い、いたずらはやめなさい!ここには、警察がいるんですからね!」
伯母山美術部長はスーツをダブダブ波打たせながら震えていた。
「いたずらではない。わたしは怪人だ。真剣に、怪人としての努めを果たしているのだよ。
予告通り、明日、「笑う貴婦人」をいただく!
今日は、君たちがわたしの予告状を本物として対応してくれているかどうか、確かめに来たのだ。その調子で、明日に備えてくれたまえよ。」
怪人は再び高笑いをはじめた。声は二重三重にエコーがかかり、それが室内に反響し、辺りは異様な空気に包まれた。
「やけに念の入った脅かしだな!なぜそうまでする!」
亜町は画面の怪人に向って叫んだ。
「それは」
と、その時、パニックに陥った警察官の一人が、モニターの怪人に向って発砲した。バチッという音とともに火花が走り、煙が立った。
画面は消えた。

2-4 アキハバーラから上野へ

秋葉原から上野まで。
晴れていれば、散歩するには程よく手応えのある距離である。そして、幸い今日は小春日和だ。
新米刑事、愛称「メガネ」(本人にとっては多いに不満)は、ぶらぶらと上野に向った。途中、末広町の駅近辺で、知り合いらしき人物を見かけた。
「あれ?本田先輩じゃないか?」
本田とは、高校時代「犯罪同好会」の一学年先輩として一緒に活動していた。なつかしいなあ、犯罪同好会。その物騒な名前と、部員が本田とメガネ、そしてもう一人の三名から増えなかったせいで、とうとう彼の在校中は部に昇格出来ず同好会止まりだったが。今も存続しているのだろうか。
犯罪同好会といっても、別に物騒なことをやらかす類いではない。密室殺人やら失踪事件やら誘拐やら、所謂限りなくロマンというか想像力をかきたてられる犯罪を妄想し、その世界を愛する趣旨で、部員らはもっぱら犯罪を分析し謎を解明する探偵や刑事という立ち位置だ。
同好会だから、学校から部費はいただけなかったが、持出しで本を買い揃えたり夏には合宿もしたっけ。楽しかった。その楽しさを引きずっているからこそ、不謹慎かもしれないが、彼はこうして刑事になったのかもしれない。
「そういえば、本田先輩は事件記者になるって言ってたな。」
実際、雑誌社の下請編集プロダクションに入社したとは風の噂に聞いたが・・・まさかこんなところで偶然会う筈もない。
通りの向うに見える先輩らしき人物は、傍らの女性に腕をつかまれてグイグイ引っ張られている。女性のリードが強引だが、デート中のように見える。
「本田せんぱーい!」
試しに呼んでみたが、どうやらそれどころではなく急いでいるようだ。
やはり、他人のそら似か。あの本田先輩が、昼間っから女性と腕組んで歩く訳がないよな、正確には腕を引っ張られて、だけど。

道はいつの間にか、上野広小路の賑やかな感じに変わっていった。
やがて不忍池のみっしりとした蓮の群生や木々がチラチラ見えて来る。
池のほとりには、ひなびた売店があり、一応は観光客向けらしく、みやげ物等も多少置いてあるのだが、外にしつらえてある椅子とテーブルには、およそ観光客らしからぬオヤジ達が、こんな時間から静かな酒盛りを楽しんで居る。奥には、テントを張った露天商売もいくつか開いており、椅子にあぶれたオヤジがひやかしたりしている。
メガネはそのテントの一つをのぞいた。
古着やら古時計やら、どこから持って来たのか大きな剥製やら・・・店側では何らかの法則に基づいて並べているのだろうが、素人目にはゴミ屋敷の一角を切り取ってそのままのような無秩序さだ。
「おお、相変わらずだね。」
古道具の間から、また古色蒼然とした年配の男が出て来た。
メガネは黙って頭を下げる。
年配の男もまた、メガネである。ただし、こちらのメガネは大分年季が入っている様子だ。

「どう?刑事くん。」
古い方のメガネは、にこにこと優しげな笑顔を浮べている。
「聞き込み調査?何か探してそうだね。」
「・・・いいえ、いや、はい。探しているというか・・・」
メガネはちょっとためらってから
「マンダム先生、最近噂のラブホテル殺人魔事件、御存知ですか。」
「ああ、あれな。知ってるもなにも、そこのホテルでも先月やられたそうだよ。・・・君、追ってるの?随分大きなヤマを任されるようになったねえ。」
「いえ、ただ個人的に興味があって。・・・まだ、そういった事件を任されないんです。」
そもそもそういう課に配属されてもいないし、という言葉をメガネは呑み込んだ。
マンダム先生と呼ばれた年配の男は、メガネの高校時代の恩師だった。
顎に伸びた無精髭を触る癖が「うーん、マンダム」と言ってあごをなでる、往年の男性化粧品のCMに似ているということからついたあだ名らしいが、メガネが入学した頃からすでに学校では「マンダム」で通っていた。犯罪同好会の顧問で、メガネ達のよき指導者というか、よき仲間だったが、メガネ達が卒業した後に教師を辞め、紆余曲折を経て古道具屋に落ち着いた。元々教師になったのも、紆余曲折を経ての事らしいから、教師であったことも紆余曲折の中のひとつに過ぎなかったのかも知れない。ただ、マンダム先生の中では、いまだに同好会顧問という立場は続行中であるらしく、メガネは時々、先生を訪ねては古今東西の犯罪について語り合っていた。刑事になって、一番喜んでくれたのも、先生だった。

(本田のことを思い出したのも、もしかしたら、マンダム先生のところに向う道すがらだったからなのかもしれない。)

「まあ、場所が場所だけに、ひどく猟奇的な印象で世間を騒がせているようだが。ボクに言わせれば凡庸な連続殺人だね。現場を目撃されるリスクの少ない場所としてホテルを好んでいるというところが、今ひとつロマンを感じないよ。ただ。」
「ただ?」
「こないだの、どこだっけ。・・・あそこの件だけはどうも妙だ。」
「ホテル横島?」
「そうそう!」
古道具に半ば埋まっていたマンダム先生が身を乗り出した。
「隣室にいたはずの男性客が行方不明になっている。しかもだね・・・まあ、君だから話すが、何者かに連れ去られたに違いない。その何者かこそが、大きな謎だ。そしてボクが大いに興味をそそる相手だ。」
「何者かって・・・ラブホテル殺人魔じゃ?」
「ボクは、違うと思っている。
これは、独自ルートで仕入れた情報だが・・・部屋のドアは外側からぶち破られていたらしい。現場はホテルで、まあ、ああいうところだから、音が洩れにくいようドアも相当頑丈に出来ている。それをほぼ一撃で破壊しているんだ。小型の建築重機でも持ち込んだ様だというんだね。勿論、そんな形跡はない。第一、ドアをぶちこわしてまで侵入する必要があったのはなぜだ?
それに、ラブホテル殺人魔と関連があるとすれば、なぜ、今回に限って、隣室の男性客をわざわざ連れ去ったのか。」
「それは、現場を見たからじゃないんですか?」
「ラブホで隣室の殺人を目撃する?有り得ない!」
「何かの拍子に廊下で犯人の顔をみた、とか。」
「男性客は裸で、シャワーを浴びた形跡があったんだ。そんな状態で、廊下をうろつくとは考えにくい。怪しい物音を聞いたとしても、ああいったホテルで、わざわざ廊下に出てまで確認するだろうか。犯罪同好会らしからぬ発想だね。」
そうかもしれないが・・・メガネは口ごもった。

メガネにしても、この件に関してはかなりひっかかるところがあった。
警察では、消えた男性客が加害者つまりラブホ殺人魔と関与している、つまり加害者側として行方を追っている。マンダム先生が指摘するまでもなく、彼は連れ去られた被害者には間違いないはずなのに。
そして、現場はあの、ホテル横島。
数年前、あのホテルに行った事がある。正確には、ホテルの前だ。
今となっては苦い思い出だが、テレクラでやりとりした末、相手とあのホテルの前で待ち合わせをしたのだ。勿論、興味本位だったし、相手もきっと面白半分の冗談だったのだろう。今考えてみると、いくらなんでも待ち合わせ場所がホテルの真ん前なんて間抜けすぎる。いたずらだと気付くまで一時間以上もかかったなんて。
その時、幼稚園位のまだ小さな女の子が、ホテルの前で遊んでいたのを、メガネはいまだに忘れない。アスファルトの舗道にガリガリと四角や丸を描いていた。気まずい感じも手伝って、最初のうちはただ見ていたが、どちらからともなく言葉を交わした気がする。一緒に絵を描いてやったりした。女の子は、たしかホテルを指して「ここがあたしんち」と言ったんだ。
ほどなく、通用口から従業員らしい中年女性が出て来て、女の子をひどく叱りつけた。そして無理矢理引きずる様にして女の子をホテルの中に連れ去ったのだ。女の子は泣きもせず、ただ怒ったような顔でこちらを見つめていた。涙をこぼしてくれてた方が、まだ胸が痛まなかったろう。その顔がずっとメガネの記憶に残っている。
(何か言ったんだよな、俺に。なんっていったんだっけ。)
ああそうだ。そして、落書きに使っていた小石をこっちに放り投げたんだ。
よく見ると石ではなく、それは、錆びた古い小さなボルトだった。
(なんていったんだっけな)
メガネはあれからテレクラをやらない。勿論、横島にも行くことはなかった。しかし、その小さなボルトは、なぜか今でもポケットに入れて持っている。
「・・・レマルク。」
メガネはハッとした。
そうだ、思い出した。女の子は「レマルク」と言ったんだ。人名だろうか、ペットの名前だろうか。
「・・・おい、どうした?ぼんやりして。」
マンダム先生が心配そうに尋ねた。
「あ、いえ。」
あの、ホテル横島。
あの子はまだ、あそこの子でいるのだろうか。あの子の「あたしんち」で、事件は起きたのだ。

2-1 アキハバーラ駅前その1

秋葉原の駅前に広大な空地がある。バスケットボールやスケボーに興じる若者がポツポツと居るが、その広さ故か、かえって淋しい印象を与える。
元々は、神田青物市場という卸売市場があって、東京の台所を支えていたとらしいが、跡形もない。
秋葉原はいつだって「ひしめき合う」という形容が似合う場所だ。戦後の闇市から発展したというが、ラジオや無線の電子部品、オーディオ用品を扱う店が主流だった時代もあれば、家電が幅を利かせていたこともある。パソコン部品のジャンクやゲームソフトを扱う店が次第に増えてきたり、それもやがて家庭用ゲーム機に主流の座を譲ったり。けれど、無線がマイコンに、マイコンがパソコンにと上書きされていく訳ではなく、新しい商売は古い商売の間に割り込み、古い商売の方も隅に追いやられながらも留まりギュウギュウと押しくらまんじゅうをしているような恰好だ。街は次第に複雑怪奇さを増していく。にも関わらず、あの場所だけが、何かで切り取られたようにぽっかりと空いている。秋葉原にジャンクを買いに来る多くのオタク達も、バスケにもスケボーにも興味はなく、というか寧ろストリートでバスケをしているのはどでかいラジカセを担ぎながらラップをしてるスラムのストリートギャング達つまり米国風の不良じゃない?喧嘩したら絶対負ける拙者暴力は反対でござるだって体力で負けちゃうしという発想から、多くのオタク達の禁足地と化している。言い過ぎだったらごめんなさい。いやこれは言い過ぎである。

そんな空地の、フェンスの低くなっている部分に腰をかけて、バスケをしているギャング達を眺めている男がいた。
まだ若い風にも見えるしいい年にも見える。大柄な体に軍用コート、見事に真ん中だけを残したモヒカンという出で立ちが、年齢より「強面」という情報を優先させるのかも知れない。
彼は退屈そうにあくびをすると、ポケットから丸めた新聞紙を取出し、膝の上で拡げてシワを伸ばした。
新聞は昨日の朝刊社会面、赤マーカーで囲みがしてある記事の見出しには
「ラブホテル殺人魔逃走中」
とある。男は記事に目を走らせ、ついうっかり独り言を言った。
「ラブホテル殺人・・・あーあ、こんな事件やってみてえなあ。」
なにせ大柄なせいか、独り言もでかい。バスケの若者達が一斉にかたまった。男はハッとして、「ってひとなんかいるのかしら。」と、慌ててつけ加えた。

勿論、男は犯罪者でも犯罪者志願でもない。こう見えて、先月づけで秋葉原署に配属された新米刑事なのだ。
幼い頃、「太陽にほえろ!」を見て憧れた刑事。交番巡査から地道に試験を受け、頑張ってようやく憧れの刑事になった。ドラマに出て来る七曲署みたいに、拳銃片手に犯人を追うのが夢だったのに。新米刑事は配属になると「ボス」に呼び名をつけてもらえる・・・「ジーパン」とか「ゴリさん」とか「殿下」とか、お互い呼び合うあの感じがかっこよかった。なるべくハードで型破りな感じを演出するために、わざわざこの恰好にしたのに。
にこにこしたおじいちゃんみたいな警部が、「君は・・・そうだなあ、メガネかけてるから”メガネ”」。
ええっ!この特徴だらけの外見で「メガネ」?!せめて「モヒカン」じゃないの?
「よろしくね、メガネくん。」
しかも、配属部署は半数が女性。以来、「メガネくん」として、秋葉原駅周辺の不審者職務質問が主な仕事となる。

男、いやメガネは、改めて記事を見直す。

1月31日午後4時頃、足立区某所の「ホテル横島」203号室にて、女性の遺体が発見された。死因は失血死。刃物のようなもので刺された跡から他殺と断定。凶器及び、衣服を含め被害者の持物は一切現場からなくなっており、女性の身元は不明である。一連の状況から、警察はここ数ヶ月都内で起こっている連続殺人事件通称「ラブホテル殺人魔」との関連を調査中。
尚、同時刻に隣の202号室の男性宿泊客が姿を消しており、本件に関与の可能性があるとみて、行方を捜索している。

ラブホテル殺人魔の噂は、職業柄、彼も以前から耳にして知っていた。
最初に起こったのは半年前、歌舞伎町のラブホ。密室のホテル内で、男女で入ったはずが女だけが殺され、男は姿を消す。一突で急所を刺す手口等から、容易く同一犯人の連続殺人であることが推測された。場所柄、フロントで従業員が客とまともに顔を合わすことは無い。その為、犯人と思われる男の姿は謎のままなのである。
(でも・・・)
なんだろう、この記事は何か違和感を感じる。モヒカンでメガネの男がいたら、普通、モヒカンの方に目がいくんじゃないか。それと同じような居心地の悪さが記事にはあった。

(でもなー、俺、推理探偵じゃないしなあ。)

ぼんやりしていると、足許にバスケットボールが転がってきた。
遠巻きに、若者達が凍りついたまま、弱々しい声で彼に呼びかけた。
「す、すみませーん。ぼ、ボール・・・」
彼は足許のボールを拾い上げ、思い切り放った。
「おれは、メガネじゃねええ!」
「ひいぃ!」
ボールはバスケットゴールのボードにぎゅるぎゅるとめり込んで、しばらくしてから籠へとゴールした。
「あ」
思いついた。そうだ、どうして忘れてたんだろう。
それなら彼にはいくべきところがある。それも、この秋葉原、そう遠くはないじゃないか。

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