4 外神田 電話がかかる

「本田くん、あれから進展はないの?」
昼休み中、電話当番で事務所に一人留守番のさちこは、本田記者に電話をかけた。隣のデスクは埃がたまったままだ。妙な事件に巻き込まれた「彼」がいなくなって2週間、仕事自体にはとくに支障はない。が。
「え?何?仕事中に電話して大丈夫かって?なに言ってるの、昼休みなのよ。え、私?私は今留守番中。
え?何か変わった事?
特にないし。あっ、ある!
部長が、なんか様子がおかしいのよ。なーんか、ぼんやりして溜息ばっかりついちゃって・・・ウォークマンなんて聞いちゃって。勤務中によ?しんじらんない。高校生かっつうの。」

そう、最近、部長の様子が変なのだ。
さちこに対しても、いつもなら、「さちこくん、カップにコーヒー入れてくれたまえ。Cカップが好みだねえ。」とかなんとか、用事に絡めてセクハラめいた言葉を連発するのに、めったに話かけてもこない。
怪しげな宗教に洗脳CDでも売りつけられたのかと、さちこは部長がトイレに立った隙を見て机の上に置かれたウォークマンの蓋を開けてみた。
「KRAFTWERK」
角張った英文字がCD盤面に並んでいる。
はぁ?テクノ?なにそれ。意味不明すぎる。

「ねえ、本田くんどう思う?あ、会社の電話だから、心配しないで。お金かかってないから。えっ?それじゃない?クラフトワークじゃないって?
まあ確かにね、おやじはムード歌謡ってとこよね・・・。
え?そうじゃなくて?あいつから連絡はないかって?
・・・あるわけないじゃない。あったら本田くんに電話なんかしないし。」

その時、部長の机の電話が鳴った。
「あっ、ちょっと電話かかってきたから。じゃあね。仕事さぼってるんじゃないわよ。」
さちこは慌てて電話を切り、部長のデスクへ小走りで向った。
「はい、大人の玩具伝統こけし販売、です。」
「モシモシ。」
電話口の向うから、やけに平坦なイントネーションの声が聞えた。
「モシモシ、ワタシ、デス。ブチョ、サン。」
はっきりと発音されてはいるのだが、何か妙にぎこちない。
なにこれ?電話口からテクノ?
「こちらは、伝統こけし販売ですが、どちらさまでしょう?」
「ワタシ、ワタシ。」
「お名前をおっしゃってください。」
「ナンバーワン デス。」
テクノだテクノ。テクノの悪戯電話だ。丁度いい、退屈だから少し付き合ってやれ。さちこは部長の椅子に座り、軽く咳払いをした。
「ナンバーワン様でいらっしゃいますか?」
「ハイ、ソウデス。」
「部長に、どのような用件でしょう?」
「エイギョウデス。エイギョウデンワ、カケテマス。」
もしかしたら、海外の商社だろうか?こけしが珍しい工芸品というので、時折、海外から取引の提案等の案件が舞い込んでくる。日本語が堪能でない社員が大胆にも片言以下の語学力を駆使してアポイントをとってきているのかもしれない。恥や体面を重んじる日本人ならまずしないことだが、そこはお国柄、過去にも一度、そんなことがあったし。リスクも大きいが、日本の伝統工芸という事で、ハッタリで案外大きなビジネスにつながる可能性があるから、ここは丁寧な対応を。腕の見せ所よ、さちこ。と、さちこは自分につぶやいた。
「部長はただいま席を外しております。恐れ入りますが、もう一度、お名前と、御社の社名を頂戴できますか。」
「ナンバーワン。」
「ええっと。アーナターのー、おーなまーえとー。かーいしゃーの、おーなまーえをー、ぷりーずてるみー。あんだすたん?」
「・・・。」
沈黙の向うで、工場か工事現場のようなガチャンガチャンという音が連続してかすかに聞こえてくる。そして、シューシューという、蒸気が噴き出すような音。
「ナンバーワン様?」
電話の主は沈黙したままだ。
やっぱり、悪戯電話なのか?
と、いきなり、先程とは打って変わった流暢な日本語がさちこの耳に飛び込んできた。
「・・・もしもし!もしもし!」
日本人、しかも聞き覚えのある声。
なにこれ?さちこが一瞬息を飲んで、それから何か言い返そうとした時、電話はぷっつりと切れた。
うわ、わたし、今いやな汗がブワッと出て来た。
やだ、あれ、あいつの声じゃん。でも、なんで部長宛の電話に?
これはひとまず本田くんに電話よ、と、さちこは再び受話器を取った。

ツーツーツー。

話し中だ。
そこに、昼食を終えた部長が帰ってきた。
「さちこくん、僕の机でなにをしているんだね。」
「あ、いえ。・・・先程、部長宛にお電話がありまして。」
「誰?」
「ええと、海外の方みたいでした。ナンバーワン様とだけ。」
それを聞くと、部長の顔がみるみる赤くなった。
「あ、ああ。な、何か、言っていたかね?」
「それが、あの、ご用件をお伺いする前に切れてしまって。」
「あ、そう。」
部長は落ち着かなげに机に坐った。そして、平静を装うようにおもむろに机の上のコーヒーカップに手をのばした。
「あ、あの、部長。」
やっぱり、こいつ、おかしい。
「・・・こぼれてますよ。」
部長はぎくりとして「なに?」と素っ頓狂な声をあげた。
「・・・コーヒー、口に当てて飲んでください。」
部長のカップは口元をそれ、鼻の穴に飲ませるような恰好に当っていた。
無論、机の上は茶色い池である。

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