6 某所-彼

「・・・ここは一体どこだろう?」
彼は目を覚ました。意識が戻る前、遠い夢の中で聞いていた音が、くっきりと輪郭を現わして耳に響いてくる。工場のような、機械が動き金属がぶつかり合うような音、ブーンというモーター音のようなもの。辺りをよく見ようと首を持ち上げるが、すぐに痛みで断念した。

どうしたんだっけ。

ああ。自棄になって、思い切って風俗デビューしようとして、電話をかけて、ホテルで女の子を待ってたんだ。そしたら、そしたら・・・。
女子高生という触れ込みのチラシだったのに、やって来たのは巨大な、恐ろしい・・・あれ?なんだっけ。そこから記憶がない。

どうしたんだっけ?

そう、待っていたんだ。何回もシャワー浴びて。パンツ一丁にしようか、それとも全裸がいいかと、何回も何回も着たり脱いだり着たり脱いだり・・・あっ。服・・・結局、どうしたんだっけ。

記憶を辿れば、恥ずかしい自分の姿がどんどん浮かんでくる。もしや、今もまだ裸、もしくはパンツ一丁なのか。彼は恐る恐る自分の体を探った。どうやら服は着て居るようだ。が、馴染みのない手触り、ゴワゴワしたセメント袋のような手触りだ。実際、彼はセメント袋を触ったことなどない。多分、セメント袋ってこんな感じなんじゃないかという想像だけだが。

と、突然、ブザーの音が長く辺りに響いた。クイズ番組で誰かが答え損ねた時のアレのやけに大きいやつだ。残響とともに、それまで聞えていた機械の音が止んだ。そして、あちこちから人声が聞えてくる。

「あーつっかれたー。」
「今日はどうする?昼。」
「久しぶりに食堂いかねえか、冷やし中華始めたらしい。」
「あ、俺、今日弁当なんで。」

皆、どこかへ行くらしい。声達は遠くなり、人の気配は間もなく消えた。

出て行った?出口があるんだ。

音の響き方からすると、小学校の体育館程度か。目からの情報がないのはなぜだ?ああそうか、さっきから辺りを見回しても真っ暗なのは、目隠しをされているからだ。
頭が次第にはっきりしてきた。
彼は、慎重に自分の顔を探る。なんだ、ただのアイマスクじゃないか。
そしてゆっくりと起き上がる。
物々しい機械達、上から幾つもぶら下がっているチューブ、何に使用するのか分からない大小様々の工具が放り出されている。そして、高い天井附近に貼り付いているすすけた看板には「安全第一」と大きく書いてある。
やはり、ここは何かの工場らしい。そして、昼休みになって工員達は皆、食事の為に出て行ったのだ。
訳がわからない、なぜ、どうして、ラブホテルから工場に?
思い出そうとすると、頭が割れそうに痛くなる。
すると、背後から
「あれ?」
と、声がした。
振り向くと、もじゃもじゃの髪の毛をした映画に出て来るマッドサイエンティストが立っている。いや、菜っ葉服を着ている、しかもにこにこしているぞ・・・訂正、マッドサイエンティストみたいな親父、だ。
「キミ、新入りだな。」
菜っ葉服のマッドサイエンティストみたいな親父は目をパチパチさせてる。
「あ、えっと。」
菜っ葉服の・・・繰り返すのは面倒だから親父、だ。親父が何者か、ここがどこかすら分からないのだから、慎重に、冷静沈着に。カレは全身からよく分からない汗が噴き出すのを感じていた。
「ああ、やっぱり初日はキツいかぁ。ほら、そんな辛気くせぇ顔してねえで。昼、まだだよな。よし、オレがおごってやらあ。」
「あ、イヤ・・・僕はえっとその。」
「まあ、遠慮すんなっていいワケェもんがよ。」
親父はカレの肩をぐいぐい押した。親父には彼が工員に見えるらしい。
「角の食堂でよ、冷やし中華始めたらしいんだよ。」
黄色と黒の段だらになった鉄骨のアーチ、その先には出口らしき鉄の扉がある。親父は彼を無理矢理に押しながらそちらへ向う。

外・・・?

ギィーと重たい扉が開くと、今度は眩しさに目がくらんだ。
そうか、今は昼。にしても、暑い。こんなに暑けりゃ、2月でも冷やし中華始めるか・・・そんな訳ない・・・彼は再び気を失った。

5-2 新宿 屋上遊園地

「ああっ!なんてことを!・・・大事な備品を・・・弁償してくださいよっ!」
凍りついた空気を破り、伯母山美術部長は叫んだ。
皆が慌てふためいている中、亜町警部は眉間の皺を深くして壊れたテレビモニターを見詰めていた。
「まったく、パニックになって発砲するなんて警察官にあるまじきことですよ!誰です?だれだれ?探してくださいよ〜始末書っていうの?書かせなくていいんですか?」
「そうですね、誰なのか早急に探さなくては。」
亜町は静かにけれど鋭い口調で言った。
「・・・だが、始末書は書く必要はない。」
「な、なんと!」
亜町は半ば傍にいるメガネに説明するように言った。
「・・・これは弾が当って壊されたんじゃない。内側から破裂したのでなければこうはならない。・・・見ろ、テレビの部品にしては妙なものが出て来たぜ。」
メガネはまだブスブスと黒い煙をあげている壊れたテレビの中をのぞき込んだ。熱で半ば融けたタイマーのようなものがあった。
「これは。」
「そうだ。恐らく、時限爆弾のような仕掛けがしてあったのさ。映像が丁度いいところにきたら壊れるような仕組みだったのだろう。」
「そして、慌てたふりをしてタイミングよく空砲を打った。・・・ですね、亜町警部。」
「そうだ察しがいいなメガネくん。この中に、贋物の警察官が紛れ込んでいる。」
二人の会話を耳聡くきいていた伯母山が「みなさーん!」と叫び出す前に、人混みをかき分け逃げ出す影があった。
「あいつだ!」
「つかまえろ!」
にせ警官を捕まえようと、警備保障やデパート社員、そして本物の警官達が動き出す。が、いかんせん、こう人が多くてはただ混乱するばかり。
「エレベータに乗ったぞ!」
誰かが叫んだ。
「階段で先回りだ!伯母山さん、各階にアナウンスを。エレベーター前に人を集めましょう。」
「亜町警部?」
「メガネくんは屋上階を頼む!下に逃げるとばかりは限らないからな。」
亜町警部は数人の警官達と一緒に階段に向っていった。

その後ろ姿を見送りながら、メガネは空いている別のエレベーターに乗り込み、Rの文字があるボタンを押した。
デパートなんだから、エレベーターなんて一つや二つじゃないだろう。階段使うよりこっちのほうが移動は早いのに・・・それに・・・メガネは軽く溜息をついた。
自分も慌てていて聞き流したが、このガタイでモヒカンだっていうのに・・・初対面の亜町警部も「メガネくん」とは。
いやいや、ひとまずこの捕り物が終るまでは、この件について考えるのはよそう。
そして、
「チーン」というクラシカルな音がして、エレベーターは屋上階へと到着した。扉から外へ出ると、屋上遊園地のオブジェなのか、毒毒しい原色の巨大なキノコがにょきにょきとあちらこちらに生えている。錆びたアーチに「伯母急キッズランド」という看板が涙が出るような哀愁を誘う。
休館日なので、当然お客は誰もいない。空調の設備なのか、巨大な機械の轟々という音が外の喧噪と混じって物寂しい環境音楽を奏で寂しさは一層・・・な、はずだった。
が、視線の先、きのこの向うに、警官の恰好をした男がいた。
(こいつだ!)
と、メガネは男に突進していった。きのこのオブジェやベンチやコインで動くパンダにぶつかりながら、とうとう男を自動販売機コーナーに追いつめた。
もう逃げられないと観念したのか、男は青ざめてブルブルと震えた。
「お前が怪人二面相か。」
「ゆ、ゆるしてください。僕は頼まれただけなんです・・・」
メガネは形式的に警察手帳を見せた。
「話は後でゆっくり聞く。まずは一緒に来て貰おうか。」
「ほんとに、頼まれただけなんです。何も知らないんです、メガネの旦那。」
最後の一言でメガネのある一部の掛けがねが外れた。
男は、メガネの拳をくらって1メートル程飛んで、気を失った。

5-1 新宿 88951怪人二面相

メガネのポケベルが鳴った。
慌てて見ると、「44251889」とある。
「44(しょ)2(に)51(こい)889(はやく)」
署に来い早く、つまり、至急秋葉原署に戻れということか。緊急事態か、珍しいこともあるもんだ。
今時、数字表示のみのポケベルなんて不便この上ない。警察なんだから、迅速かつ正確に連絡をとるためにはPHS位持たせてくれ。しかも、裏側にべったりとテプラで「秋葉署/二課」と貼られている恰好悪さ。
そして、再びベルが鳴る。
「49」(シキュウ)

息を切らしながら戻ってみると、皆出払った後らしく、上司のおじいちゃん警部が一人、にこにこと迎えた。
「ベル打ち上達したでしょ。」
おじいちゃんは彼の方をポンポンと叩いて言った。
「メガネ君、キミ、これからガードマンね。」
「えっ?」
「新宿にねえ、怪人現る、だって。ガタイがよくて強面な感じの刑事を警護に何人か欲しいっていうから、うちの署からも応援送ってあげることにした。キミ、丁度いいからさ。行ってくんない?」
「889」っていう割に、呑気なもんだ。
が、怪人?聞き捨てならない。新宿と言えば、歌舞伎町・・・もしかして、ラブホテル殺人魔?メガネは一瞬ドキリとしたが、警護?警護ってなんだ。

つまりは、こういう事だった。
新宿伯母急百貨店の最上階にある、伯母急美術館で世界の名画展と銘打って、ヨーロッパの某美術館から大量の名画を借り、大がかりな展覧会を催すことになった。中でも一番の目玉は、これまで門外不出で幻の名画と謳われている「笑う貴婦人」だ。勿論、デパート側では警備保障会社に頼み、厳重な警備管理体制で作品を迎え入れるのだが、つい先日、その「笑う貴婦人」を盗むという予告電話がかかってきたという。
最初は、質の悪いイタズラだと取り合わなかったが、搬入も無事に済みあとは一般公開を待つばかり、係員達がホッとしていたその時、絵の額縁に大胆にも予告状が貼り付けられていたのを発見し、慌てて警察に届け出たのだそうだ。
更に大胆なのは、その予告状で、犯人は自ら「怪人二面相」と名乗っているという。乱歩のパロディかいなとユーモラスに受け取りたいところだが、二面相?二十面相じゃなくて二面相とは質素すぎて笑えない。

メガネは指示に従い、伯母急百貨店の現場へとかけつけた。
美術館スタッフと覚しい、ブランドスーツ姿が、不安そうな面持ちであちらに数人こちらに数人と固まって何やら話し合っている。その間を埋めるように、制服私服入り交じった警備員警察官達が待機する。すでにメガネの居場所なしといった風だが・・・言われた通り現場の責任者を探す。
美術館と聞いていたから、だだっぴろいホールの壁面に絵がかけられているのかと思ったらどうやらそうではない。広めの廊下といった体で、それがクネクネと曲がっており、たどっていくといつの間にか出口に誘導されているような会場のつくりだ。
(八幡の藪知らずか上品なお化け屋敷だな)
メガネはつぶやいた。マンダム先生のおかげで、薮知らずなんて形容が出来ちゃうところが密かな自慢だ。
少し行くと、若干開けた場所に出た。メインの展示はきっとここなのだろう。ここだけは絵との距離を十分にとるようにと、各所にパーテーションポールが廻らされている。その一角で、トレンチコートの襟を立てた目つきの鋭い男が高そうなソフトスーツを来た男に何やら言葉をかけている。あ、いかにも、いかにもじゃないか。メガネはそう思いながら、人をかき分けるようにして彼等に近づいていった。

「いいえ、絶対に中止は出来ません。」
ソフトスーツの男は細面のこめかみに青い血管を浮べながら訴えている最中だ。華奢な体がスーツの中で泳いで、強い口調の割に若干頼りない印象だ。
「今回の展示には社運をかけているんです。すでに明日のレセプションには、各界の著名人も招待しております。今更中止する訳にはまいりません。」
トレンチコートは不満そうに、眉間に皺を寄せた。
「しかし伯母山さん、「笑う貴婦人」は世界の宝とでもいうべき絵画です。傷がついたりしただけでも外交問題に発展しかねないというのに、盗難の危機に晒してまで展示するとは・・・有り得ない。どうか考え直してもらえませんか。」
「だから、警備保障会社の他に、こうして警察にもお願いしてるんじゃないですか。」
その言い方にカチンと来たのか、トレンチコートの眉間の皺は一層深くし、「警察にも、ねぇ・・・」とその後の言葉をぐっと呑み込んだ。そして気を落ち着かせる為か、無意識に内ポケットを探って、煙草を取出し、口元に持っていく。
「あっ!やめてください。なにしてるんですか!」
「あ、失敬。いつもの癖で。」
「世界の宝って、さっきあなたがおっしゃったじゃないですか。というか、美術品の前で喫煙なんて、有り得ませんからね!」
ソフトスーツのこめかみの青筋は今にもぶち切れんばかりになった。

メガネは思い出した、あの顔は、本庁の敏腕「非情のライセンス」と異名をとる亜町警部じゃないか。難事件の捜査には必ずといっていい程彼が関わっている。すると、今回のヤマもこの人が指揮するのか。敏腕デカと怪人の対決かあ。ラブホ殺人魔もいいが・・・おじいちゃん、いい現場に送り込んでくれて「39」(さんきゅう)、メガネは自分の頬が紅潮するのを感じた。

亜町警部は話題を変えた。
「それはそうと伯母山さん、予告状が置かれた場所というのは、本当に、あの「笑う貴婦人」の絵の前だったのですね?」
「ええ。」
「不思議ですね、そんなに容易く絵に近づけるとしたら、なぜ、その場で盗んでいかなかったのでしょう?」
「知りませんよ、私は探偵でも警察でもないし。」
伯母山美術部長はピリピリした口調で言った。
「あれじゃないですか?予告状には明日のレセプションの最中に盗み出す、とありましたらから、私共伯母急百貨店の面子を潰すのが目的なんですよ。
・・・これ位の威しで、祖父の代から続いている伯母急百貨店の名前に傷がつくもんですか。今は、一社員として美術部門の部長を任されていますが、いずれ、社長として双肩にこの百貨店を背負うのです、出来れば、いやなんとしてもそれまで無傷の状態で、いいえ、未来永劫ずっと無傷の状態でなければならないのです。だからこうして、警備保障会社の他に警察にもお願いして、極秘に警護と捜査をお願いしているんじゃないですか。」
「・・・警察に・・も・・・?」
「極秘という割には、随分と人が集まって。これじゃ、いかにも何かありますと言ってるようなものじゃないですか。」
伯母山の言葉を聞いて、メガネは思わず割り込んだ。
「誰?キミ。」
亜町警部がきょとんとしてメガネを見る。
「申し遅れました!わたくし、先程要請をうけまして、秋葉原署から参りました!」
うっかりしゃしゃり出てしまったがよかったのだろうか。余計な事を言うと、単なる警護の応援要員とバレる、メガネは極々簡潔かつふんわりとした自己紹介をして敬礼のポーズをとった。
「今日は店休日です。明日が控えておりますから、そのくらい人の出入りがあっても問題はないと判断しております。
警視庁の知人に相談したところ、出来る限りの協力をしていただいております。こうして、大変腕利きの警部さんもお越し下さっておりますし。」
伯母山は嫌味ったらしく、メガネに説明した。
「いーですかー!みなさーん。犯行予告があったなんて、家族にも、友達にも、恋人にも、言っちゃだめですよー!みなさんの力でー、「笑う貴婦人」と、伯母急百貨店を守り抜きましょー!」
伯母山は大声で周囲に呼びかけた。
ああ、この人は馬鹿なんだな、と、メガネは思った。
亜町警部も、やれやれと肩をすくめ、メガネに合図を送った。

「ふっふっふっふ。」
すると、どこからか忍び笑いが聞えてきた。笑ってしまうのも無理はない、が、その笑いが次第に大きく、やがて耳を聾せんばかりの高笑いになった。
皆、その声の主を探そうと一斉にキョロキョロし出したが、一体誰が笑って居るのか見つからない。
「ここだよ、ショクン。」
会場案内のモニターの中に、いつの間にか黒覆面の男の顔があった。とすると、声はモニターに接続されているスピーカーから聞えてくるのか。
「だ、誰だ!」
亜町警部はモニターの男に向って叫んだ。
「わたしは怪人二面相だ。はじめまして、亜町くん。」
二面相は不敵な笑いを顔に留めたまま、続けた。
「となりのガタイがいいキミは、亜町の助手かな?そう、わたしはこの画面の中から全てお見通しなのだ。」
「おかしい!あれは、VHSビデオデッキにつながっているだけの、ただのモニターだぞ。」
「ふっふっふ、説明がましい台詞をありがとう。わたしの手にかかれば、ただのモニターもへったくれもないのだ。わたしにはきみたちが見える。そして、きみたちも、わたしのすがたを見ているだろう?それが事実だ。」
「い、いたずらはやめなさい!ここには、警察がいるんですからね!」
伯母山美術部長はスーツをダブダブ波打たせながら震えていた。
「いたずらではない。わたしは怪人だ。真剣に、怪人としての努めを果たしているのだよ。
予告通り、明日、「笑う貴婦人」をいただく!
今日は、君たちがわたしの予告状を本物として対応してくれているかどうか、確かめに来たのだ。その調子で、明日に備えてくれたまえよ。」
怪人は再び高笑いをはじめた。声は二重三重にエコーがかかり、それが室内に反響し、辺りは異様な空気に包まれた。
「やけに念の入った脅かしだな!なぜそうまでする!」
亜町は画面の怪人に向って叫んだ。
「それは」
と、その時、パニックに陥った警察官の一人が、モニターの怪人に向って発砲した。バチッという音とともに火花が走り、煙が立った。
画面は消えた。

4 外神田 電話がかかる

「本田くん、あれから進展はないの?」
昼休み中、電話当番で事務所に一人留守番のさちこは、本田記者に電話をかけた。隣のデスクは埃がたまったままだ。妙な事件に巻き込まれた「彼」がいなくなって2週間、仕事自体にはとくに支障はない。が。
「え?何?仕事中に電話して大丈夫かって?なに言ってるの、昼休みなのよ。え、私?私は今留守番中。
え?何か変わった事?
特にないし。あっ、ある!
部長が、なんか様子がおかしいのよ。なーんか、ぼんやりして溜息ばっかりついちゃって・・・ウォークマンなんて聞いちゃって。勤務中によ?しんじらんない。高校生かっつうの。」

そう、最近、部長の様子が変なのだ。
さちこに対しても、いつもなら、「さちこくん、カップにコーヒー入れてくれたまえ。Cカップが好みだねえ。」とかなんとか、用事に絡めてセクハラめいた言葉を連発するのに、めったに話かけてもこない。
怪しげな宗教に洗脳CDでも売りつけられたのかと、さちこは部長がトイレに立った隙を見て机の上に置かれたウォークマンの蓋を開けてみた。
「KRAFTWERK」
角張った英文字がCD盤面に並んでいる。
はぁ?テクノ?なにそれ。意味不明すぎる。

「ねえ、本田くんどう思う?あ、会社の電話だから、心配しないで。お金かかってないから。えっ?それじゃない?クラフトワークじゃないって?
まあ確かにね、おやじはムード歌謡ってとこよね・・・。
え?そうじゃなくて?あいつから連絡はないかって?
・・・あるわけないじゃない。あったら本田くんに電話なんかしないし。」

その時、部長の机の電話が鳴った。
「あっ、ちょっと電話かかってきたから。じゃあね。仕事さぼってるんじゃないわよ。」
さちこは慌てて電話を切り、部長のデスクへ小走りで向った。
「はい、大人の玩具伝統こけし販売、です。」
「モシモシ。」
電話口の向うから、やけに平坦なイントネーションの声が聞えた。
「モシモシ、ワタシ、デス。ブチョ、サン。」
はっきりと発音されてはいるのだが、何か妙にぎこちない。
なにこれ?電話口からテクノ?
「こちらは、伝統こけし販売ですが、どちらさまでしょう?」
「ワタシ、ワタシ。」
「お名前をおっしゃってください。」
「ナンバーワン デス。」
テクノだテクノ。テクノの悪戯電話だ。丁度いい、退屈だから少し付き合ってやれ。さちこは部長の椅子に座り、軽く咳払いをした。
「ナンバーワン様でいらっしゃいますか?」
「ハイ、ソウデス。」
「部長に、どのような用件でしょう?」
「エイギョウデス。エイギョウデンワ、カケテマス。」
もしかしたら、海外の商社だろうか?こけしが珍しい工芸品というので、時折、海外から取引の提案等の案件が舞い込んでくる。日本語が堪能でない社員が大胆にも片言以下の語学力を駆使してアポイントをとってきているのかもしれない。恥や体面を重んじる日本人ならまずしないことだが、そこはお国柄、過去にも一度、そんなことがあったし。リスクも大きいが、日本の伝統工芸という事で、ハッタリで案外大きなビジネスにつながる可能性があるから、ここは丁寧な対応を。腕の見せ所よ、さちこ。と、さちこは自分につぶやいた。
「部長はただいま席を外しております。恐れ入りますが、もう一度、お名前と、御社の社名を頂戴できますか。」
「ナンバーワン。」
「ええっと。アーナターのー、おーなまーえとー。かーいしゃーの、おーなまーえをー、ぷりーずてるみー。あんだすたん?」
「・・・。」
沈黙の向うで、工場か工事現場のようなガチャンガチャンという音が連続してかすかに聞こえてくる。そして、シューシューという、蒸気が噴き出すような音。
「ナンバーワン様?」
電話の主は沈黙したままだ。
やっぱり、悪戯電話なのか?
と、いきなり、先程とは打って変わった流暢な日本語がさちこの耳に飛び込んできた。
「・・・もしもし!もしもし!」
日本人、しかも聞き覚えのある声。
なにこれ?さちこが一瞬息を飲んで、それから何か言い返そうとした時、電話はぷっつりと切れた。
うわ、わたし、今いやな汗がブワッと出て来た。
やだ、あれ、あいつの声じゃん。でも、なんで部長宛の電話に?
これはひとまず本田くんに電話よ、と、さちこは再び受話器を取った。

ツーツーツー。

話し中だ。
そこに、昼食を終えた部長が帰ってきた。
「さちこくん、僕の机でなにをしているんだね。」
「あ、いえ。・・・先程、部長宛にお電話がありまして。」
「誰?」
「ええと、海外の方みたいでした。ナンバーワン様とだけ。」
それを聞くと、部長の顔がみるみる赤くなった。
「あ、ああ。な、何か、言っていたかね?」
「それが、あの、ご用件をお伺いする前に切れてしまって。」
「あ、そう。」
部長は落ち着かなげに机に坐った。そして、平静を装うようにおもむろに机の上のコーヒーカップに手をのばした。
「あ、あの、部長。」
やっぱり、こいつ、おかしい。
「・・・こぼれてますよ。」
部長はぎくりとして「なに?」と素っ頓狂な声をあげた。
「・・・コーヒー、口に当てて飲んでください。」
部長のカップは口元をそれ、鼻の穴に飲ませるような恰好に当っていた。
無論、机の上は茶色い池である。

2-4 アキハバーラから上野へ

秋葉原から上野まで。
晴れていれば、散歩するには程よく手応えのある距離である。そして、幸い今日は小春日和だ。
新米刑事、愛称「メガネ」(本人にとっては多いに不満)は、ぶらぶらと上野に向った。途中、末広町の駅近辺で、知り合いらしき人物を見かけた。
「あれ?本田先輩じゃないか?」
本田とは、高校時代「犯罪同好会」の一学年先輩として一緒に活動していた。なつかしいなあ、犯罪同好会。その物騒な名前と、部員が本田とメガネ、そしてもう一人の三名から増えなかったせいで、とうとう彼の在校中は部に昇格出来ず同好会止まりだったが。今も存続しているのだろうか。
犯罪同好会といっても、別に物騒なことをやらかす類いではない。密室殺人やら失踪事件やら誘拐やら、所謂限りなくロマンというか想像力をかきたてられる犯罪を妄想し、その世界を愛する趣旨で、部員らはもっぱら犯罪を分析し謎を解明する探偵や刑事という立ち位置だ。
同好会だから、学校から部費はいただけなかったが、持出しで本を買い揃えたり夏には合宿もしたっけ。楽しかった。その楽しさを引きずっているからこそ、不謹慎かもしれないが、彼はこうして刑事になったのかもしれない。
「そういえば、本田先輩は事件記者になるって言ってたな。」
実際、雑誌社の下請編集プロダクションに入社したとは風の噂に聞いたが・・・まさかこんなところで偶然会う筈もない。
通りの向うに見える先輩らしき人物は、傍らの女性に腕をつかまれてグイグイ引っ張られている。女性のリードが強引だが、デート中のように見える。
「本田せんぱーい!」
試しに呼んでみたが、どうやらそれどころではなく急いでいるようだ。
やはり、他人のそら似か。あの本田先輩が、昼間っから女性と腕組んで歩く訳がないよな、正確には腕を引っ張られて、だけど。

道はいつの間にか、上野広小路の賑やかな感じに変わっていった。
やがて不忍池のみっしりとした蓮の群生や木々がチラチラ見えて来る。
池のほとりには、ひなびた売店があり、一応は観光客向けらしく、みやげ物等も多少置いてあるのだが、外にしつらえてある椅子とテーブルには、およそ観光客らしからぬオヤジ達が、こんな時間から静かな酒盛りを楽しんで居る。奥には、テントを張った露天商売もいくつか開いており、椅子にあぶれたオヤジがひやかしたりしている。
メガネはそのテントの一つをのぞいた。
古着やら古時計やら、どこから持って来たのか大きな剥製やら・・・店側では何らかの法則に基づいて並べているのだろうが、素人目にはゴミ屋敷の一角を切り取ってそのままのような無秩序さだ。
「おお、相変わらずだね。」
古道具の間から、また古色蒼然とした年配の男が出て来た。
メガネは黙って頭を下げる。
年配の男もまた、メガネである。ただし、こちらのメガネは大分年季が入っている様子だ。

「どう?刑事くん。」
古い方のメガネは、にこにこと優しげな笑顔を浮べている。
「聞き込み調査?何か探してそうだね。」
「・・・いいえ、いや、はい。探しているというか・・・」
メガネはちょっとためらってから
「マンダム先生、最近噂のラブホテル殺人魔事件、御存知ですか。」
「ああ、あれな。知ってるもなにも、そこのホテルでも先月やられたそうだよ。・・・君、追ってるの?随分大きなヤマを任されるようになったねえ。」
「いえ、ただ個人的に興味があって。・・・まだ、そういった事件を任されないんです。」
そもそもそういう課に配属されてもいないし、という言葉をメガネは呑み込んだ。
マンダム先生と呼ばれた年配の男は、メガネの高校時代の恩師だった。
顎に伸びた無精髭を触る癖が「うーん、マンダム」と言ってあごをなでる、往年の男性化粧品のCMに似ているということからついたあだ名らしいが、メガネが入学した頃からすでに学校では「マンダム」で通っていた。犯罪同好会の顧問で、メガネ達のよき指導者というか、よき仲間だったが、メガネ達が卒業した後に教師を辞め、紆余曲折を経て古道具屋に落ち着いた。元々教師になったのも、紆余曲折を経ての事らしいから、教師であったことも紆余曲折の中のひとつに過ぎなかったのかも知れない。ただ、マンダム先生の中では、いまだに同好会顧問という立場は続行中であるらしく、メガネは時々、先生を訪ねては古今東西の犯罪について語り合っていた。刑事になって、一番喜んでくれたのも、先生だった。

(本田のことを思い出したのも、もしかしたら、マンダム先生のところに向う道すがらだったからなのかもしれない。)

「まあ、場所が場所だけに、ひどく猟奇的な印象で世間を騒がせているようだが。ボクに言わせれば凡庸な連続殺人だね。現場を目撃されるリスクの少ない場所としてホテルを好んでいるというところが、今ひとつロマンを感じないよ。ただ。」
「ただ?」
「こないだの、どこだっけ。・・・あそこの件だけはどうも妙だ。」
「ホテル横島?」
「そうそう!」
古道具に半ば埋まっていたマンダム先生が身を乗り出した。
「隣室にいたはずの男性客が行方不明になっている。しかもだね・・・まあ、君だから話すが、何者かに連れ去られたに違いない。その何者かこそが、大きな謎だ。そしてボクが大いに興味をそそる相手だ。」
「何者かって・・・ラブホテル殺人魔じゃ?」
「ボクは、違うと思っている。
これは、独自ルートで仕入れた情報だが・・・部屋のドアは外側からぶち破られていたらしい。現場はホテルで、まあ、ああいうところだから、音が洩れにくいようドアも相当頑丈に出来ている。それをほぼ一撃で破壊しているんだ。小型の建築重機でも持ち込んだ様だというんだね。勿論、そんな形跡はない。第一、ドアをぶちこわしてまで侵入する必要があったのはなぜだ?
それに、ラブホテル殺人魔と関連があるとすれば、なぜ、今回に限って、隣室の男性客をわざわざ連れ去ったのか。」
「それは、現場を見たからじゃないんですか?」
「ラブホで隣室の殺人を目撃する?有り得ない!」
「何かの拍子に廊下で犯人の顔をみた、とか。」
「男性客は裸で、シャワーを浴びた形跡があったんだ。そんな状態で、廊下をうろつくとは考えにくい。怪しい物音を聞いたとしても、ああいったホテルで、わざわざ廊下に出てまで確認するだろうか。犯罪同好会らしからぬ発想だね。」
そうかもしれないが・・・メガネは口ごもった。

メガネにしても、この件に関してはかなりひっかかるところがあった。
警察では、消えた男性客が加害者つまりラブホ殺人魔と関与している、つまり加害者側として行方を追っている。マンダム先生が指摘するまでもなく、彼は連れ去られた被害者には間違いないはずなのに。
そして、現場はあの、ホテル横島。
数年前、あのホテルに行った事がある。正確には、ホテルの前だ。
今となっては苦い思い出だが、テレクラでやりとりした末、相手とあのホテルの前で待ち合わせをしたのだ。勿論、興味本位だったし、相手もきっと面白半分の冗談だったのだろう。今考えてみると、いくらなんでも待ち合わせ場所がホテルの真ん前なんて間抜けすぎる。いたずらだと気付くまで一時間以上もかかったなんて。
その時、幼稚園位のまだ小さな女の子が、ホテルの前で遊んでいたのを、メガネはいまだに忘れない。アスファルトの舗道にガリガリと四角や丸を描いていた。気まずい感じも手伝って、最初のうちはただ見ていたが、どちらからともなく言葉を交わした気がする。一緒に絵を描いてやったりした。女の子は、たしかホテルを指して「ここがあたしんち」と言ったんだ。
ほどなく、通用口から従業員らしい中年女性が出て来て、女の子をひどく叱りつけた。そして無理矢理引きずる様にして女の子をホテルの中に連れ去ったのだ。女の子は泣きもせず、ただ怒ったような顔でこちらを見つめていた。涙をこぼしてくれてた方が、まだ胸が痛まなかったろう。その顔がずっとメガネの記憶に残っている。
(何か言ったんだよな、俺に。なんっていったんだっけ。)
ああそうだ。そして、落書きに使っていた小石をこっちに放り投げたんだ。
よく見ると石ではなく、それは、錆びた古い小さなボルトだった。
(なんていったんだっけな)
メガネはあれからテレクラをやらない。勿論、横島にも行くことはなかった。しかし、その小さなボルトは、なぜか今でもポケットに入れて持っている。
「・・・レマルク。」
メガネはハッとした。
そうだ、思い出した。女の子は「レマルク」と言ったんだ。人名だろうか、ペットの名前だろうか。
「・・・おい、どうした?ぼんやりして。」
マンダム先生が心配そうに尋ねた。
「あ、いえ。」
あの、ホテル横島。
あの子はまだ、あそこの子でいるのだろうか。あの子の「あたしんち」で、事件は起きたのだ。

3-2 ザギン 瀬戸際 その2

隣の席では。
こちらも頭髪に特徴のある、バーコード状にベタベタと髪型を整えた中年男が、やや緊張した面持ちで山﨑ロックを嘗めていた。そのベタベタは、整髪料のせいなのかあるいは自らが出す油分のせいなのかはハッキリしない。
「ブチョサン、」
そう呼ばれたのは確かに部長。誰あろう、伝統こけし販売株式会社のあのセクハラ発言部長であった。
隣には、大型冷蔵庫に手足を生やしたようなロボットが、甲斐甲斐しく酒のお代わりを勧めつつ、グラスの底の水滴をおしぼりで拭いている。ただ甲斐甲斐しいと文字で書いては状況がまっすぐ伝わらないかも知れない。かつてよい子だった読者諸君は想像して欲しい、サンタクロースにお願いしたガンダムが、枕許にはどこでどう間違ったのかゼンマイで動く四角いブリキのロボットが置かれていた朝を。その「これじゃないんだよ」感に満ちあふれた玩具に面影の似た「ホステス」が、作業・・・いや、健気に客をもてなしているのだ。

まず、アイスペールから氷の塊を取出す。手元は用途によりアタッチメントをつけるらしい。左手のクレーンゲームの先みたいなものが氷めがけて伸び、垂直に氷をつまみ上げ、グラスの真上で停止、狙いを定めこれまた垂直にグラスへと着地させる。繰り返す事三回。反対側ピペット状の手先が山﨑のボトルに差し入れられ、琥珀色の液体を吸い上げ、氷を入れたグラスにそれを注ぐ。ピペットでそのままくるっと一回転半、かき混ぜる。
テーブルの上だけに注目すると、小さな工事現場のようだ。
「ブチョサン、ハジメテセトギワ。ドゾヨロシク。」
どうやら、この店クラブ瀬戸際に来たのは初めてね、これからどうぞごひいきに、という意味らしい。
部長も、強ばった顔面を無理に歪め笑い顔をつくる。
「・・・あはは。よろしく。いい声してるね。夜もいい声かな、あはあは。」
こんなはずでは、と、内心部長はつぶやいた。
銀座に人造人間のナンバーワンホステスがいるという噂を聞き付けて、入って見れば、何だか想像していたのと違っている。もっとこう、空山基のセクシーロボットの絵みたいな、曲線でメタリックで、ハイヒール的な・・・。
それに引き換えこの角張り、ボルト留めしてある直線的なボディー。こいつ絶対油圧で動いてるよなあと思うと、部長の中の何かがみるみるしぼんでいく。
「ね、ねえ君。」
「ハイナンデショウ。」
「き、きみは、ホントにナンバーワンなの?」
「ハイソウデス。」
ロボットホステスは胸の下辺りにはめ込まれた小さな金属プレートをゆっくりとピペットで指した。そこには

製造番号 001

と彫り込まれていた。
(製造・・・番号? えーっ。)
部長の頭髪のバーコードからかすかに湯気がたっていく。
「ミツメナイデブチョサンノエッチ」
「あはは。君、ユーモアのセンスあるねぇ。・・・チェンジ。」
「アリガトゴザマス。」
「チェンジ。」
「ミズワリニカエマスカ。」
「チェンジだっつってんだろうこの野郎。
ナンバーワンのロボットホステスって噂聞いたからよう、さぞかし助平な我が儘ボディを拝めるかと思って股間と期待膨らませて来たら、なんだこのただ場所とるだけの我が儘ボディは!・・・人造人間、アンドロイドだよ!メタリックでセクシーな曲線美だよ!チェンジチェンジ!製造番号じゃなくて、人気売上げナンバーワンを出せ!お前なんかのつくる酒なんかまずくて飲めない。」
ロボットの動きが止まった。
言い過ぎた、部長はハッとした。
「ご、ごめんよ。」
と、その時、さっきからこちらをチラチラ見ていた向うの客が、つかつかとこちらにやって来た。妙な髪型、クラブで白衣なんか着てるし・・・。
あっと思う間もなく、部長の顔に冷たいものがかかった。妙な髪型の客がコップの水を浴びせたのである。
「ハーさん!何するのっ。」
ママが慌てて駆け寄る。
「このコが気に入らねえなら余所へ行きな。ここは腐っても銀座だ。女の子にケチつける野暮天はいらねえんだ。こっちの酒がまずくなる。」
「ハーさん!」
マッドサイエンティストという言葉があるが・・・見るからに・・・こいつはまさに、気違い博士だ。逃げるが勝ち、だが、やらずぼったくりな状況で何もせず逃げるのはいかがなものか。
「なんだその眼は、頭冷やし足りねえか。」
ハーさんは、今度はテーブルのピッチャーを手に取った。
うわ、今度こそずぶぬれになってしまう、と部長は身を竦め堅く目を閉じた。
と、あれ、冷たくない。一体どうしたことか。恐る恐る目を開くと、部長の前に、ピッチャーの水を浴びて水滴を滴らせたロボットホステスの体があった。
「ハカセ、オキャクサマニキガイ、ダメデス」
ロボットホステスは、部長に向き直って、クレーン状になっている方の手でおしぼりを吊り上げ、手渡した。
「オサケ、オイシクツクル。ワタシ、コンドハ」

「う、うん。」
部長の胸が、一回、ドンと大きな音をたてて鳴ったような気がした。だが、その音は、部長自身にしか聞えない音であったに違いない。

そして、水浸しになって乱されたテーブルの上に角の円い名刺がブヨブヨにふやけてあるのを、部長がそっと内ポケットにしまった事も、その場にいる誰も気付かないことだった。

3-2

3-1 ザギン 瀬戸際 その1

こんな噂がある。
銀座の高級会員制クラブに、幻のナンバーワンホステスがいる。
なぜ幻なのかというと、それがどんなコであるのか、店外には一切秘密で、指名客もごく限られた者、まずは常連になってたっぷり店の売上げに貢献した後、ようやく彼女の名前を教えてもらって指名が出来るらしいという。
そんな高飛車な、上から目線の条件にも関わらず、彼女を是が非でも指名したいというお客は多く、政財界を牛耳るような大物も中にはいるそうだ。
そのホステスは、ロボットらしいという。

このご時世、ロボットホステスなんて珍しくはない。六本木あたりのマニアックな界隈には、すでにロボットクラブなるものが誕生している。バーチャルという言葉が一般人に流行り出した頃から、生身の女のコじゃイケテないという風潮が一部であるのは周知の通り。CGのアイドルだの、アニメ少女を愛する輩だの、所謂二次元的な指向が、どこから枝分かれしたのか、或いは、どこをどう捻ったのか、三次元+αとでもいうべきか、アンドロイドが新たなるサービス産業として出現したのである。
少し前まで、羽振りのいい青年実業家達の間では、やけに無表情でゴムっぽい質感のワンレンボディコンをウォーターフロントのイタリアンレストランに同伴させるのがトレンディーとされていた。殺風景な港湾の倉庫群がポツポツとディスコだのバーだのレストランだのに変貌していったのはいつ頃からだったろう。元々遊興の為にある場所ではない為、交通の便は非常に悪い。つまり、車がなければ自由に遊びにいけな・・・言い換えよう、つまり、高騰しきった地価の中駐車場の確保もままならぬご時世に遊びにいく車を持ってる成金が、科学の粋を集めた人造人間を見せびらかしながら遊びにいく、そんないけ好かないところが、東京の海岸なのだ。多分。
少し話がそれたが、脱線ついでにつけ加えると、実際、海岸沿いで遊んでいた青年達が真に羽振りがよかったのかどうかは怪しい。高級車もレンタカーで借りることが出来たし、何より、アンドロイドを連れ回しているのも、ひょっとしたら生身の女よりコストパフォーマンスがいいからなのかも知れない。少なくとも、彼女達はバカ高いワインや高い皿の料理を飲み食いしない。急ごしらえの陸の孤島は、現実世界から遊離した祝祭だけの場所だ。そこでは、その場だけの人間関係とふわふわした無責任な価値判断が行き交うだけ。ステータスとなるアイテムさえ所持していればどんな都会人にも化ける事が出来た、のである。多分。

「なーにいってやがんでぇ。アンドロイドだとぉ?
あんなもんは、高級ダッチワイフだ。人間そっくりの触感のゴムだと?邪道だね。生身の女に似せてなーにが面白い。
ロボットってなあ、な、宇宙空間や過酷な環境でも耐えられる金属素材なんだよ!百歩譲ってカーボンだろうが、てやんでちきしょうめい。」
こちらは銀座。
銀座といっても限りなく新橋に近い、比較的お財布に優しいお店。裏路地の低層テナントビルの中、入口の観葉植物がなんとも残念な感じに庶民的な、店名も「クラブ瀬戸際」。ママの出身地が瀬戸内海の側だというのが店名の由来だそうで、占い師に画数を見てもらいつけた名前だそうだが。名前も店内も、漂う薄暗さは拭えない。

ハゲ頭を縁取るようにもじゃもじゃの髪がぐるりと囲む妙な髪型の男が、奥のソファで管を巻いている。
お店のママと若いホステスがどうにか機嫌をとろうと両脇を固めるが、どうやら今夜この男を止めることは難しいようだ。
「まったく・・・にわかロボットマニアのガキどもがアブク銭にもの言わせて分ってねえ遊びしやがって・・・なあ、ママ。なんだ、あのデスコ?クラブぅ?うるせえピコポコした音楽流して酒飲んでなーにがおもしれえんだ。」
「ハーさん。他のお客さんが困ってるわよ。うちは銀座よ、もうちょっと上手に酔っぱらってほしいわぁー。」
「うるせー!どう考えても新橋じゃねえかここ。銀座ってつくのはビルの名前だけじゃねーかよー。」
ママは、細い眉を八の字にする。
「・・・ハーさん、何かあったの?」
ハーさんは急にしんみりしだした。
「・・・うるせーよ。おらあこれでも、この道一筋のロボット工学博士でぃ。ガキの遊びに付き合って、ナンパな発注なんざうけたかねえや。」
ハーさんは、手にした水割りを、勢いよくお茶でも飲むようにズズッと啜った。そして深々と溜息をつく。
「ロボットはよう、人間の我が儘を受け入れるための道具に過ぎねえのかね・・・」
「え!ちがうの?ハーさん。」
まだ20代のホステスあけみがきょとんとする。ママが今度は眉を逆立てる。
「・・・。」
「やあだ、あけみちゃん、天然、面白いわー。」
気まずくなった空気を取り繕おうとママが空笑いをする。
「ロボットって機械でしょ、人間の形をしてても、機械は道具じゃないーやーだーハーさん。」
「・・・これ、あけみちゃん。」
ママがたまらずこっそりあけみを小突く。
「いたーいママ。なあに?」
「・・・あけみちゃん、ロボットはよう、仲間じゃねえのかい?この店にもいるだろうが。仲間を道具扱いしたら、かうぇえそうだぜい。」
ハーさんは、水割りグラスを透かして向うのボックス席を眺めた。男前がする仕草の一つと確信しているかのように、眉間にさみしげなシワを寄せて。
あけみは、ハッとして口元に手をあてた。
向うからは、先程から、ウィーンガチャガチャと、小さな工場でもあるかのような音が聞えていた。
しんとしたハーさんの席に、向うから「ロックデヨロシイデスカ」というクラフトワークのボーカルのような声が洩れ聞えてくる。
「コノマドラーデ カキマゼル」

(ボクハ・・・デンタック・・・タシタリ・・・ヒイタリ・・・)
そういえばそんな曲あった懐かしいと、あけみもママもふと思ったが口には出さずにいた。

次へ

2-3 神田の外れよぉ その2

さちこが半ば強引に本田記者を連れ込んだのは、会社からほど近い外神田の煮込みうどん屋だった。
ランチタイムには近隣のビジネスマンで混雑する人気店だが、いかんせん入り組んだ路地にある為、13時を過ぎると店内はがら空きになる。人に聞かれたくない話をする時は、下手な喫茶店より穴場なのだ。そして、あいつの無断欠勤のせいで昼休みがなかったから丁度いいわというさちこの都合でもあった。
「あの・・・。」
本田記者は落ち着かない様子で周囲を見回している。
「ふふ。どうして煮込みうどん屋さんなのか、って、聞きたいでしょ。この辺はゆっくり話せる店って少ないし。私はうどんよりソバ派なんだけど、今日は肌寒いからうどんの気分なの。あ、私、カレーうどんにしよう。」
「あの。」
「ああ、私さちこ。あいつの同僚というか後輩。入社したのは今年に入ってからなんだけどね、なんでも聞いていいよ。答えるから。」
「あの・・・恐縮ですが。」
「なによ。」
「ここは、味噌煮込みうどんじゃないでしょうか。」
「はぁ?」
「ここ、味噌煮込みうどん専門店じゃないですか、カレーうどんなら他でも。」
「私がなにを頼もうと勝手でしょ。」
「うわあ、勿体ないなあ・・・。」
何やらこいつもめんどくさい男のにおいがする。
「てか、もっと違うとこにつっこみ入れない?
なんでこんなとこに連れてくるんだ、とか、ほら。」
本田記者は半ばさちこを無視して、うっとりとメニュー表を眺めて居る。
「いやあ。いいお店ですよ、佇まいもこのメニューのよごれっぷりも絶対美味しい感じだし。外神田には名店が多いっていうけど、ほんとここ、美味しい予感しかしない。うわあ、味噌も二種類から選べるんですね・・・どうしようかなあ。」
まるで少年のように、とはこの事か。つやのある頬を一層輝かせ、本田記者はもう夢中だ。まずは、うどんを食べてからね、私もお腹空いてるし。呆れながらもさちこは注文お願いしますと手をあげた。
「私、カレーうどん。・・・絶対、美味しいし。」

 

「ふぅ、ごちそうさま。」
「やっぱり味噌煮込みで正解でしたね。本場名古屋の八丁味噌がいい仕事してました。」
ていうかここ外神田だし、と言いたい気持ちをさちこはぐっと堪えた。
本田は満足そうに紙ナプキンで口元を拭いている。
「本田さん、食べるの好きなのね。」
「はい、大好きです。ぼく、元々グルメ雑誌のライターをしていたんです。」
「へぇ。好きを仕事にできるっていいじゃない。」
「ええ、でも、好き過ぎて。取材で食べてたらちょっと太ってきちゃったんで・・・ダイエットも兼ねてフィールドを変えたんです。」
「それで、事件記者ねぇ・・・。」
「結構えぐい現場の取材もあるから、食欲わかなくなっていい感じです。」
「そ、そう。」
「そうなんですよ。今回もここだけの話、入手した現場写真、ベッドの上が血の海で。あ、まさにこんな感じ。生乾きの血とか体液とか、この味噌煮込みの残り汁みたいなのが一面べったりでした。ああ、よかった、食べた後に思い出して。」
まだ、カレーうどんの方にしといてよかったと、さちこは思った。
「いくらラブホでも、あれは掃除が大変だろうなあ。」
「そうそう、それよ。そのラブホ殺人の話じゃない。」

本田記者が追っているという、ラブホテル殺人魔事件とは、半年程前から都内のラブホテルで起こっている未解決の連続猟奇事件である。
最初は、今から半年前だから昨年の九月になる。新宿は歌舞伎町のホテルで、女性客が刺殺された。その後、都内各所のラブホテル街で、同じ手口の殺人が毎月のように連続して起こっている。
犯人は同伴相手男性と見られているが、場所柄、チェックインする際に名前を聞く事は愚かお客の人相風体をまともに見る事もない為、犯人は勿論のこと、被害者の身元を割り出すのにも時間を要した。
「指紋も、もうあちこちベタベタいろんなお客のが付着しすぎていて手がかりにはなりにくいみたいです。それに、被害者女性は全・・・」
本田記者は赤面した。
「全・・・ての持物、衣服等身につけるものをですね、持ち去られているので、身元確認が大変らしいのです。」
「でもほら、相手の男がひとりで出て行ったら、おかしいなって分りそうじゃない?それにさ、防犯カメラとかは?」
「そうなんですけど・・・不思議なのは、相手男性らしき人物がひとりでホテルを出たことに誰も気が付かないんです。勿論、防犯カメラにも映っていないし。」
「・・・やるわね、あいつ。とんでもない五時から男だわ。」
「あ、いえいえ。あいつさんはですね、重要参考人というだけでして。」
「私、知ってる。重要参考人っていうのは、ほぼ犯人ってことなのよね。」
「いやあ、その。そうとばかりは・・・特に今回は。」
「なによ。」
「犯人は、鋭利な刃物で急所をぐさっ、ですよ。刃物の扱いに非常に慣れた、プロの手際です。日常的にそういった仕事に関わっているか、相当デキるひとの仕業です。お話を聞く限りでは、あいつさんはボンクラ、なんですよね。」
「なに?いくらなんでも社外の人間がうちの社員をボンクラ呼ばわりするって、失礼じゃない?」
「あいえ。すみません、味噌煮込みうどんでテンションがあがりすぎて、つい。」
それもそうか。確かにあんなに不器用でやる気のない男が、プライベートで急変するとは思えない。そんなのお話の世界だけよね、とさちこは内心思ったが、カッとした態度を急に引っ込めることも出来ない。
「大体ね本田さん、あなた、聞き込みにきたんでしょ?なに誘われるままにうどん食べて、聞かれもしないことを初対面の私にペラペラしゃべってるのよ。あなたこそボンクラ記者じゃない。」
「・・・それも、言い過ぎだと思います。」
本田の目にうっすらと涙が浮かんだ。
さちこは慌てた。
「ああ、でも、その捜査困難な状況で、よくあいつがうちの社員だって突き止めたわね。まだ、警察も調査に来てないわ、すごいわ。」
「ぼく、独自の調査網を持ってるんです。やればできる子なんです。」
本田は、うつむきながら煮込みうどんの残り汁を啜った。どうやら機嫌を治してくれらたしい。単純ね、男って。
「ここだけの話ですが、現時点では、あいつさんは本当に重要参考人というだけで、犯人とも被害者とも、あるいは関係ないとも・・・」
「ちょっと待って。被害者ってどういうこと?」
「ここだけの、話ですよ。」
「あいつさんが居たお部屋は、犯行現場の隣なんです。」
さちこは訳がわからなかった。なぜ、隣の部屋のあいつの聞き込みを?
「・・・今回のケースはですね、一連の事件と幾つか違う点がありまして。
ひとつは、これまで事件は都心に近いホテル街で起こっていた。でも、今回の犯行場所となったホテル横島というホテルは、江戸川に近い、ほぼ住宅街と小さい工場で成立しているような地域にポツンとあるホテルなんです。ほら、郊外というか地方の町の駅裏に、飲み屋とかパチンコ屋とかゲーセンとかが固まってる場所、近隣のPTAというか、お家のおかあさんが子供にあそこに近寄ったらいけませんよというような所です。
被害者の女性も、最初から身元は分っているんです。地元の、なんというかコールガールで、ホテルで客と待ち合わせてサービスを提供するコで、これまでの被害者とは違って、そういうプロなんです。そして・・・」
「じゃあ、連続殺人事件とは別の事件なんじゃない?」
「そうとも言い切れないところがありまして。犯行現場そのものは、一連の事件と見事に一致しているので、恐らく同一犯人だと推定されるのですが。」
「が?」
「なぜか、犯行が行なわれたと覚しき時刻に、隣室のドアが破壊されていまして。そこに一人で居たはずの、あいつさんが居なくなっていたんです。
しかもこちらは、衣服を残したまま・・・。」
「なになに?ちょっとよく分からない。
そもそも、なんであいつ一人でそんなとこに居るのよ。」
本田はまた、顔を赤らめながら言った。
「それは・・・アレ、じゃないですか。」
「アレ?」
「あいつさんの部屋から、小さなチラシが発見されたそうです。所謂、その、公衆電話ボックスに貼ってあるような・・・」
「はっきりいいなさいよ。」
「はい。」
・・・あいつ、仕事さぼってホテトル呼んでやがったのか。
「あ、ホテトルって今使っちゃいけないんですよ。ホテトルのトルの部分、トルコ風呂っていうのが、国差別的になるからNGで。今はソープランドっていうんですが、それも地域差別にあたるんじゃないかとぼくは思うんですけどどうなんでしょう。」
「なんで、私が今思った事が分ったの?超能力者?」

本田記者はにやりとした。

「だって、さちこさん。思った事、無意識に口に出してしゃべるタイプですよね。」

アタリ!やはり、こいつは超能力者だ。・・・ってあれ?

2-2 神田の外れよぉ その1

秋葉原の駅から、ゲーセンや電気屋の並ぶ大通りを上野方面にのぼって行く。PCパーツの店の数が少なくなるのと比例して、そのマニア度は増してゆく。駅前では、チェックのネルシャツにリュックサック紙袋といったいかにも愛好家といった人々は大抵が男二人で歩いている、気がする。が、よりマニアックな店を目指す者は独りが多い、気がする。そんな店がとうとう途切れた先から、また別の街の姿が現れる。
本題に戻る。

彼は消えた。

秋葉原のはずれ、外神田がはじまる辺り、古い比較的低層な雑居ビルと昔からの商店が居並ぶ、バブルや景気といった言葉から無縁の街並の一角、「伝統こけし販売本社事務所」というブリキの看板がかかっているオフィスがあった。いうまでもなく、永く日本の温泉場お土産物屋の主力商品として君臨してきた、あの、木製の民芸品である。全国各地のこけし職人、名人といわれるこけし作家とつながり、卸売もすれば小売りもする、物産展のついでにねじ込まれているこけしフェア的なイベントを企画する、ある意味ではマニアックな会社と言える。
十坪ばかりのさほど広くない事務所に、黒電話の音が鳴る。
OLのさちこは、隣の席のびっくりする程何もない机の上で鳴る電話をしばらく見つめ、大きく溜息をついた後に受話器をとった。
「はい、大人の玩具、伝統こけし販売です」
マニュアル通りの応答とはいえ、毎度ながら何とも微妙な心境になる。
この事務所で女子社員はさちこ一人。入社の頃は、もしかして、これを言わせるためだけに採用されたのではないか、と、疑わしく思ったものだ。
面接の時、この事務所の責任者であるところの部長は言った。
「こけしは、東北発祥の玩具からみやげ物という存在を経て、今や美術品としてその地位を確率しつつある、日本の古きよき伝統のよさを分る真の大人の為の、本物志向の民芸品なんだよ。大人の玩具、言い得て妙じゃないか。」
とはいえ。モヤモヤしたものがいつもつっかえている。

「はい。その件でしたら、私が後任で引き継いでおりますので。すぐに資料をお送りいたしますが・・・ええ、そうなんです。本日も生憎休んでおりまして。」
・・・あのやろう、もうすぐ退職する身とはいえ、無断欠勤とはあまりにひどい。元々、やる気のない男だったがここまで無責任とは。私、無責任な男が一番嫌いっ!クビが決まった途端に、営業先からの直帰が増えたし。本当はどこに行ってるんだか。この前だって、駅裏の高そうな喫茶店にフラフラ入っていって、何だか楽しそうにしていたの、郵便局におつかいの途中、見たんだから。ああいうのを、五時から男っていうのかしら・・・いや、五時どころじゃない三時から男?下手すると二時から男よ。
「さちこくん。」
「あ、部長。」
ねばっこい気配。ふと気が付くと、部長がさちこの背後に立っていた。さちこの肩に手をかけようとする気配を察知して、慌てて身をよじった。部長の手は、スダレ状に固めた薄い頭髪をいつも撫で付けているせいか、いつもベタベタしている。
「彼からは、連絡はないかな。」
「はい。」
部長は気まずそうに、ぽつんと黒電話の置いてある机を見た。今時、通話切替ボタンや呼び出しボタンもない。彼の机の電話だけ古い黒電話だ。
「私も困ってるんです。引き継ぎが完全に終ってないのに、今のタイミングで社に来なくなるなんて。」
「社?とは。」
「うちの会社ですよ。」
部長の目線が何か言いたげにさちこの方へと移動した。
「あ、はい。伝統こけし販売・・・」
「さちこくん、抜いちゃってるじゃないか。」
「・・・はい、大人の玩具伝統こけし販売。」
「気をつけてくれたまえよ、常に正式名称、名称は大事だからね。
・・・そうそう、さちこくん。さちこくんに、入れちゃっていいかな。・・・あ君のコンピュータのね、電源を。」
「もう入ってますよ、仕事中ですから。」
「仕事中に入ってるって・・・ふふ。」
ああ、メンドクサイ。このおやじとのやり取りが増えるのも、あいつが職場放棄して来ないせいだ。
「まずは、立たせてくれ。手で。」
「は?」
「ああ、そのボタンを手でポチっと押してだな、立たせてくれたまえよ、君のコンピュータの中のだね、ソフトを。そっと指でキーボードをまさぐってくれたまえ。」
「・・・そうそう、いいねえ。ああ、そこの資料ね、もうイキそう?イキそうだったら声に出して・・・プリントアウトしますって・・・。」
ベタベタした手がまた、さちこの肩に迫って来る。
ああイライラする、ただでさえ、あいつの営業先からの電話応対やらなにやらで仕事が増えてるのに・・・もう限界だ、さちこがペン立てからボールペンをつかんで逆手に持ちそっと身構えたその時、

事務所のドアが開いた。
「こんにちは。」
そこには、見知らぬ客。つやつやした頬とキラキラした目、ハンチングに蝶ネクタイの何やらこざっぱりとした青年がニコニコしながら立っていた。
「い、いらっしゃいませ。大人の玩具伝統こけ・・・。」
さちこはハッとして立ち上がり、部長を押しのけ入口に立つ見知らぬ訪問者の方へ小走りに駆け寄った。
「すみません、突然お邪魔してしまって。ぼく、こういうモノです。」
深々とお辞儀をして、さちこに両手で名刺を差し出す。名刺には、

週刊フライングフライデー
記者 本田剛

とある。
フライングフライデーと言えば、いわゆる新聞三面記事に当たる内容を扱う写真週刊誌ではないか。一体何の用があるというのか。
「事前にアポイントをとればよかったのですが、お断りされるといけないかなと思って。失礼します。」
唖然としていると、本田記者はずかずかと中に入ってきた。そして、棚に陳列してあるこけしや資料等を珍しそうに「へぇー」とか「ほぉー」とか言いながら手に取ったり、カメラに収めたり。
「あの。」
と、さちこはたまらず声をかけた。
「何かご用でしょうか。」
「あ。」と、記者は我にかえったようにさちこの方に向き直り。
「えとですね・・・」
記者は内ポケットをごそごそ探り、一枚の写真を取出した。映っているのは、今まさに無断欠勤真っ最中の彼だ。
「今、この彼について調べてるんですが。」
「あいにくと休んでますが。」
「そうですよね、失踪中ですもんね。・・・あ、ごめんなさい。ぼく、ちょっとこういう事件を担当するの初めてなもので・・・」
またここにもメンドクサイ人間がひとり。さちこは心の内で思ったが、それよりもこいつ今なんて言った?失踪?事件?
「何か、彼について情報をお聞きしたいなーと。」
「彼、なにかしたんですか?」
「あの、ええっとですね。ラブホテル殺人魔事件って知ってます?」
・・・えっ!?なにそれ。新聞で読んだ、謎のホテル連続殺人、犯人の手がかりすら未だつかめない、っていう。被害者は女性ばかりだというし・・・もしかして、あいつ、容疑者とか?うわー。
(すごく、面白そうなんだけど。)
「なんだね、君。彼が一体、何かやらかしたのか?」
遠巻きに見ていた部長が、怪訝そうに近寄ってくる。
まずい、部長が割り込んでくると話は余計にややこしくなりそうだ。
「部長、ちょっと出て参ります。あ、何かこけしの受注の件で、トラブルがあったようで〜。」
「はぁ?」
「あ、部長さんでいらっしゃいますか。ぼく、週刊フライング・・・」
言いかけた本田記者に、先程握りしめていたボールペンの先を喉元につきつけて、黙れという合図を目線で送った。
「本田さん、お話は、外でうかがいます。」
さちこは、青くなってガタガタ震える本田記者の腕をつかんで素早く事務所の外に出た。

 

*まだまだ、プロローグのような感じですみません。

2-1 アキハバーラ駅前その1

秋葉原の駅前に広大な空地がある。バスケットボールやスケボーに興じる若者がポツポツと居るが、その広さ故か、かえって淋しい印象を与える。
元々は、神田青物市場という卸売市場があって、東京の台所を支えていたとらしいが、跡形もない。
秋葉原はいつだって「ひしめき合う」という形容が似合う場所だ。戦後の闇市から発展したというが、ラジオや無線の電子部品、オーディオ用品を扱う店が主流だった時代もあれば、家電が幅を利かせていたこともある。パソコン部品のジャンクやゲームソフトを扱う店が次第に増えてきたり、それもやがて家庭用ゲーム機に主流の座を譲ったり。けれど、無線がマイコンに、マイコンがパソコンにと上書きされていく訳ではなく、新しい商売は古い商売の間に割り込み、古い商売の方も隅に追いやられながらも留まりギュウギュウと押しくらまんじゅうをしているような恰好だ。街は次第に複雑怪奇さを増していく。にも関わらず、あの場所だけが、何かで切り取られたようにぽっかりと空いている。秋葉原にジャンクを買いに来る多くのオタク達も、バスケにもスケボーにも興味はなく、というか寧ろストリートでバスケをしているのはどでかいラジカセを担ぎながらラップをしてるスラムのストリートギャング達つまり米国風の不良じゃない?喧嘩したら絶対負ける拙者暴力は反対でござるだって体力で負けちゃうしという発想から、多くのオタク達の禁足地と化している。言い過ぎだったらごめんなさい。いやこれは言い過ぎである。

そんな空地の、フェンスの低くなっている部分に腰をかけて、バスケをしているギャング達を眺めている男がいた。
まだ若い風にも見えるしいい年にも見える。大柄な体に軍用コート、見事に真ん中だけを残したモヒカンという出で立ちが、年齢より「強面」という情報を優先させるのかも知れない。
彼は退屈そうにあくびをすると、ポケットから丸めた新聞紙を取出し、膝の上で拡げてシワを伸ばした。
新聞は昨日の朝刊社会面、赤マーカーで囲みがしてある記事の見出しには
「ラブホテル殺人魔逃走中」
とある。男は記事に目を走らせ、ついうっかり独り言を言った。
「ラブホテル殺人・・・あーあ、こんな事件やってみてえなあ。」
なにせ大柄なせいか、独り言もでかい。バスケの若者達が一斉にかたまった。男はハッとして、「ってひとなんかいるのかしら。」と、慌ててつけ加えた。

勿論、男は犯罪者でも犯罪者志願でもない。こう見えて、先月づけで秋葉原署に配属された新米刑事なのだ。
幼い頃、「太陽にほえろ!」を見て憧れた刑事。交番巡査から地道に試験を受け、頑張ってようやく憧れの刑事になった。ドラマに出て来る七曲署みたいに、拳銃片手に犯人を追うのが夢だったのに。新米刑事は配属になると「ボス」に呼び名をつけてもらえる・・・「ジーパン」とか「ゴリさん」とか「殿下」とか、お互い呼び合うあの感じがかっこよかった。なるべくハードで型破りな感じを演出するために、わざわざこの恰好にしたのに。
にこにこしたおじいちゃんみたいな警部が、「君は・・・そうだなあ、メガネかけてるから”メガネ”」。
ええっ!この特徴だらけの外見で「メガネ」?!せめて「モヒカン」じゃないの?
「よろしくね、メガネくん。」
しかも、配属部署は半数が女性。以来、「メガネくん」として、秋葉原駅周辺の不審者職務質問が主な仕事となる。

男、いやメガネは、改めて記事を見直す。

1月31日午後4時頃、足立区某所の「ホテル横島」203号室にて、女性の遺体が発見された。死因は失血死。刃物のようなもので刺された跡から他殺と断定。凶器及び、衣服を含め被害者の持物は一切現場からなくなっており、女性の身元は不明である。一連の状況から、警察はここ数ヶ月都内で起こっている連続殺人事件通称「ラブホテル殺人魔」との関連を調査中。
尚、同時刻に隣の202号室の男性宿泊客が姿を消しており、本件に関与の可能性があるとみて、行方を捜索している。

ラブホテル殺人魔の噂は、職業柄、彼も以前から耳にして知っていた。
最初に起こったのは半年前、歌舞伎町のラブホ。密室のホテル内で、男女で入ったはずが女だけが殺され、男は姿を消す。一突で急所を刺す手口等から、容易く同一犯人の連続殺人であることが推測された。場所柄、フロントで従業員が客とまともに顔を合わすことは無い。その為、犯人と思われる男の姿は謎のままなのである。
(でも・・・)
なんだろう、この記事は何か違和感を感じる。モヒカンでメガネの男がいたら、普通、モヒカンの方に目がいくんじゃないか。それと同じような居心地の悪さが記事にはあった。

(でもなー、俺、推理探偵じゃないしなあ。)

ぼんやりしていると、足許にバスケットボールが転がってきた。
遠巻きに、若者達が凍りついたまま、弱々しい声で彼に呼びかけた。
「す、すみませーん。ぼ、ボール・・・」
彼は足許のボールを拾い上げ、思い切り放った。
「おれは、メガネじゃねええ!」
「ひいぃ!」
ボールはバスケットゴールのボードにぎゅるぎゅるとめり込んで、しばらくしてから籠へとゴールした。
「あ」
思いついた。そうだ、どうして忘れてたんだろう。
それなら彼にはいくべきところがある。それも、この秋葉原、そう遠くはないじゃないか。

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